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不恰好な何かを愛する誰かへ


例えばとてもイメージしやすいケースで言うと、不完全で、社会的に見れば欠点だらけの誰かが居たとします。
たとえその人と恋人になることが何かのご法度であるかのように、「やめときなよ〜あなたのための忠告よ」などと友人や家族が言ったとしても、その人のいわゆる人間社会におけるスペックの足りなさは、その人を愛せない理由には到底なり得ません。

もしかしたらその不恰好な誰かから十分に愛を受けていなかったとしても、それでもその人を愛せない理由にはなり得ません。

昔から、とてもとても不思議でした。
私はどうして、こんなにも不完全なあなたの事を心底軽蔑しているのに、それでも愛してしまうんだろう。
あの人はどうして、あんなにも不恰好なあの人に、今も愛されたいと思うが故に苦しみ続けているのだろう。


生きていると、完璧や完全、整っていてつるんと綺麗な丸のようなものを求められる事が多すぎて、こんな簡単なことに気がつけないままこの歳になってしまったのだ、と最近愕然としました。

「何かを愛することや、好きになることに理由なんかない」とよくドラマなんかで聞きますが、人を「愛せない」ことにも理由はないのだ。
私が不思議に思っていたそれらは全て、何も不思議なことでなく、恥ずかしいことでもない。後ろめたいことでもない。

そもそも「不完全を愛することを許せない」と言うことこそが、不完全な愛になってしまっているので、完璧至上理論が破綻していることにも同時に気がつきました。(屁理屈だと笑うのなら、どうぞ存分に!)


頭ではそういうことってあるのよ、と理解できても、でもどうして好きになってしまうんだろう、という謎にもちゃんと答えがありました。

その答えは、私の大好きな本の中に。
本当は、端から端まで紹介して初めて、その言葉のあたたかさが伝わるものだと思うので、抜粋なんてナンセンスなのかも知れませんが、それでもこの記事にたどり着いてくれたあなたにも、この言葉に触れて欲しいので。

彼はキツネのところに戻った。
「さようなら」と彼は言った。
「さようなら」とキツネは言った。「じゃ秘密を言うよ。簡単なことなんだ────ものは心で見る。肝心なことは目では見えない」
「肝心なことは目では見えない」と王子さまは忘れないために繰り返した。
「きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ」
「ぼくがバラのために費やした時間の分だけ、バラは・・・・・・」と王子さまは忘れないために繰り返した。
「人間たちはこういう真理を忘れてる」とキツネは言った。「でもきみは忘れちゃいけない。飼い慣らしたものには、いつだって、きみは責任がある。きみは、きみのバラに責任がある・・・・・・」
「ぼくは、ぼくのバラに責任がある・・・・・・」と王子さまは忘れないために繰り返した。
(『星の王子さま』サンテグジュペリ著 池澤夏樹・新訳 104、105頁)


わたしの心が、あなたの心が、大事なバラなのだと知っている。
それは目には見えない。
それは他の人には、他のバラとなんの変わりもないバラに見えているから、きっと他の人には分からない。
でも大切なバラ。私には分かる。あなたにも分かる。
それだけで良い。それだけちゃんと分かっていれば良い。


不完全で、不恰好で、でもすごく大切なバラ。
明日からもわたしはこのバラを、愛し続けるのだとおもいます。



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