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愛を唱え続けることのすヽめ

何かが欠けているという感覚は、いつからどうやって形成されるのか。
セルフラブとかボディーポジティブとか、そういう素晴らしい考えが高らかに宣言される時代になっても、わたしは特に容姿に関しての「欠けている」という感覚をなかなか拭うことが出来ずにいます。

例えば体型、例えば目の大きさ、歯並び、鼻や口の形。それからこの声のことも。
ずっとずっと好きになれず、たまに好意を伝えてくれる人に出逢っても「馬鹿にされてる?」「きっとからかっているんだ」等と、わたしの心の中に生まれた小さなありがとうという気持ちは、バケモノ化した恐怖心には勝てずにいました。


先日、高校時代の恩師や友人とリモート飲み会をしました。
久しぶりの顔ぶれや思い出話に心が躍る中、画面の中で笑う自分の顔を見てふと思ったのです。
「あれ、私いつから笑う時に口元を隠すのやめたんだっけ?」

それは、ずっとやめられない嫌な癖のひとつのはずでした。
楽しそうに笑う姿を快く思わない人がいたり、私の笑顔を攻撃対象にする人が子どもの頃から周囲にいて、色々な場面で心ない言葉をかけられることが多くありました。
そういう日常で、自分の好きな立ち居振る舞いよりも他人に攻撃されにくいそればかりを選ぶ癖が、身体や心に染み付いてしまっているせいだと思います。

そのはずだったのに、いつのまにか、チャーミングな友人の姿に目を細め思い切り笑う自分がいた。
その事実にすごく驚いたのでした。


就寝前、パートナーとふざけながら歯磨きをしていると「君のその鼻と口のあたりが特に好きなんだよ〜」と言われました。
なんだそりゃと笑ってうがいをしながら、そういえばこの人はずっと好意を伝え続けてくれている、と気がつきました。

初めのうちは私も否定していたと思います。
「どうせ嘘だ」とか「からかわれているだけ」と思い、聞き流していた覚えがあるのです。
対して彼が否定するのは、私が自分の好きを拒んだ時だけでした。

「かわいいけど私には似合わないな」
「そんなことないと思うよ」

「声も変だし、歌も下手だから」
「そうかな、僕は好きだけどね」


そういうことが何十回何百回、もしかしたらもっとたくさんあって、コンプレックスと単純に表現するには禍々しいほどこびりついた嫌悪を、少しずつ少しずつ落としてくれているのだと思います。
私の心は、穏やかな波打ち際で角を取られた小さな貝殻のように、丸く丸くなっていくのだと思います。


この泳ぎにくい時代に、枷(かせ)をはめられても懸命に、そして賢明に強かに生きる人たちへ

良かったらあなたの大切な生き物やいろんな物に、愛を伝えてみてください。
それで出来たらできるだけで良いので、長く続けてあげてください。
その小さな愛が、いつかその人を救うかもしれない。
くつわの中の泣き声が歌声に変わるかもしれない。
どうか、今日も愛を唱えて。


私からの愛もみんなに届きますように、と祈る静かな海より

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