檻の中の声なき声
先日、私の住んでる市のお姉様方と
集まっておしゃべりしたり、
悩みを共有・共感しあったりする会があった。
それぞれやってる仕事も違うし、
お子さんの年代も違えば、
私みたいに子供のいない人もいる。
精神疾患の方もいれば、
発達障害系のサポートのお仕事を
してる人もいる。
そんな場所で聞いた衝撃のお話。
その日は、健聴者に交じって、
一人聾の方がいらっしゃった。
健聴者のうち二人は手話ができて、
そのうち一人は手話通訳士の資格まで
持っていらっしゃる。
そしてこの集まりの主催者でもある。
教育関係者の多い集まりなので、
子供に読み聞かせするための
絵本を持ってきてらっしゃる方がいた。
その絵本を見て、ふと聾の方が
「私、本は読めない。」
とおっしゃった。
(手話通訳士の方が通訳してくださった)
私:本が読めないってどういう意味ですか?
聾者:(以降全て手話通訳士の訳を介して)
本を見ても、頭に入ってこない。
理解できない。
手話通訳士(以降通訳士):昔はね、
手話を教えるのが禁止されていたから、
聾学校に行っててもちゃんと
勉強できなくて、
ちゃんと本を読んで勉強するっていうのが
できるようになったのは
東京に出てきてから、
つまり18歳以降になってからだから、
本を読むのが難しいんだよ。
私:え???聾学校で手話を教えるのが禁止!?
じゃあどうやって勉強すればいいんですか?
通訳士:昔はとにかく健聴者の社会に
順応することが目的とされてたから、
声帯をどう使ってどう発声するとか
読唇術とか、そういうのばっかり
教えられてたから、
手話をきちんと学んで、
きちんと勉強を理解できるように、
とかなかったんだよ。
私:えーーーーーー!?
聾者:そうそう。
顔の前に紙をぶら下げて、
その紙が動くように発声するとか
そういう事ばっかりやってた。
だから、内容を理解するところまで
全然いかなかった。
ここまででも充分
私の今まで知らなかった事だし、
衝撃なのだけど、ここから先
さらに衝撃的だった。
聾者:私の出身地は、家に聾者が生まれたら、
その家の恥だから、
檻(お風呂やトイレはある「はなれ」
のような所)に閉じ込めて
人目につかないように
するのが当たり前だった。
食べ物を与える時だけ
扉を開けて渡して、
その他の時はずっと閉じ込められてた。
おじいちゃんや弟が時々
こっそり出してくれたりしたけど
それがお母さんに見つかると
お母さんに怒られてた。
私の脳内混乱。
だってその人まだ50代。
だからこんな事が起きてたのも
数十年前でしかない話。
そんな事が割と最近まであったのー!?
通訳士:だからね、数年前お父様が
亡くなられた時実家に帰ったら、
お葬式も他の親戚と一緒の部屋じゃなくて、
別の部屋で、健聴かつ手話もできる
娘さんに通訳してもらって、
参加したんだって。
私:そんなの悲しすぎる…
聾者:私は18歳の時に東京に
出てこられたからいいけど、
そうできなかった高校時代のクラスメイト
今でも閉じ込められてる人いるよ。
お葬式で地元に帰った時、
こっそり会いに行ったけど、
やっぱり今でも閉じ込められてた。
周りに手話できる人もいないし
話し相手もいないから、
自分の年齢だけじゃなくて
名前すらも思い出せないって言ってた。
ちなみに会いに行ったことを
またお母さんに怒られた。
別の参加者:えーそれ酷い!
人権団体とかに相談した方が
いい案件じゃない?
あと地域の民生委員とかも
そういうのを正すお仕事
なんじゃないの?
聾者:そういう事を言っても
「ほっときなさい」としか言われない。
言っても意味無い。
別の参加者:私は精神疾患関連で、だけど
その地方は精神異常者とみなされた人を
閉じ込めるっていう話を聞いたことがある。
実際その地方に行った時見たけど、
部屋ですらない、土間みたいな所で、
小屋の扉に四角い小窓みたいなのが
ついてて、そこから食べ物を
差し出すって言ってた。
みんな:もはや監獄じゃん!
参加者:そうそう。
一部の精神疾患者は、降霊者として
敬われたりするのね。
例えば天気を予想したりとか、
死者と話せたりとか、
そういう分かりやすい形というか
健常者の役に立つ形
以外の精神疾患だと閉じ込められる
っていう話を聞いた。
この話を、家に帰ってきた後、彼に話した。
彼は非常に憤って、
親だからと言って従うんじゃなくて、
自分の権利のために
立ち上がらなきゃダメだよ!
(さすが、アメリカ人的発想w)
そして、
人間の思考の基礎は、言語。
言語を介して、物事を理解したり
感情を表現したりして、情緒が安定する。
だから、
学校が、その人が理解できる言語(手話)で
勉強を教えないとか、
檻に閉じ込めてその人が
言語を活用する機会を与えないとか
全部、人から言語を取り上げる行為。
檻に入れられてる人が発狂してないのが
不思議なくらい。
その聾の方は、この体験を
文章にして世に知らしめるべき!
(またもやアメリカ人的発想w)
とも言っていた。
一回しか会ったことのないその聾の方に
「あなたの体験を文章にすべきです!」
なんて言うほど私は
「人の事情に踏み込みタイプ」(私の造語です)
ではないので、自分で書きました。
私の記憶が定かではない部分もあるし
個人情報を出さないようにすると
細かい事は書けないけれど、
「こういう事が現在でも続いてるんだ」
と知ってもらえたらいいなと思いました。
皆さんは、こういう現実にぶち当たった時、
どうしますか?