虐待方法としてのガスライティングについて学んだ10のこと
10 Things I’ve Learned About Gaslighting As An Abuse Tactic
August 27, 2015 by Shea Emma Fett
ガスライティングとは一人の人間が他の誰かの現実を上書きしようとすることを言います。
ガスライティングについて、セラピストの多くよりも貴方の方がよく知っているという可能性は高いでしょう。
だとしたらそれは不運なことです。もし貴方がガスライティングの経験者なら、自分の力だけで逃れるのはとても大変な道のりになるのですから。
けれど残念ながら逃げなければならなくなるかもしれません。そんな時、貴方は一人じゃないと私は伝えたいのです。
私の体験を話しますね。
以下はガスライティングが始まった時に知っておきたかったこと10項目です。
1.ガスライティングは必ずしも故意に行われるとは限りません。
あれは仲の良い友人に「私ってモンスターなの?」と過呼吸になりながら電話をかけるというのが五回ほど続いた頃だったでしょうか。友人が遂に「エマ、彼は君にガスライティングしてるよ」と言ったのです。
「ガスライティングって何!?」と思いました。
ウィキピディアによると、ガスライティングは昔の映画のタイトルから来ているそうです(「ガス燈」という映画だそうです)。その映画ではメインキャラクターが被害者の周辺の品々に小細工をし、被害者がそれらの変化を指摘するとそれは被害者の勘違いだと主張します。
はあ?と思いましたね。私のパートナーはそんな小細工なんかしていない、と。彼が私の気を狂わせるために私の周辺の品々や二人のやりとりに小細工を企むなんて想像できませんでした。彼は傷付いている人で、私はそんな彼を傷付けて続けているのだ。彼じゃない。私が悪いんだ、と思ったのです。
残念なことに、私が最初に見付けた定義はひどく不十分なものでした。ガスライティングは計画的に行われる必要はありません。ガスライティングと定義されるのに必要なのは、他人の現実を上書きしても許されるという(加害者側の)思い込みだけなのです。
それから後のことは、その思い込みをしている人が何かに脅威を感じた時、有機的に発生します。私達はごく自然に互いを支配し操る方法を学ぶことが出来るのです。
ガスライティングをする人としない人の違いは、所有権というパラダイムを内面化しているか否かです。私の経験では、そのパラダイムを見分ける方が、ガスライティングに気付くよりもずっと簡単です。
ガスライティングは威嚇や脅迫が有効ではなくなった時に起こる傾向があります。
ガスライティングは文化的にも個人間においても、今までにない規模で起きています。これは人は全て平等であると嘯きながら同時に不平等を維持しようとする社会的な枠組みの結果でしょう。
この現象はメディアにおいて絶えず観察できます。
例を挙げましょう。明らかなヘイトクライムが孤立した精神病犯罪として報道される時、これはガスライティングです。「貴方が真実だと知っていることは、真実ではないのですよ」とメディアが言っているのです。
親密なパートナーによる暴力は70年代になるまで深刻な犯罪だと考えられてはきませんでした。では過去四十年間でそのような暴力の背景にある考え方や意識をきちんと問題にしてきたでしょうか。答えはNoです。
もし今の時代パートナーを虐待したら、大抵の場合貴方は悪人と看做されます。それではどうすればいいでしょうか。もはや暴力は許されないのに、貴方を暴力へと駆り立てる考え方はそのままなのです。
相手を心理的に操作するのです。ガスライティングを使うのです。
2.心理操作とガスライティングは異なる行動です。
もう少し分かりやすく言えば、ガスライティングは心理操作の一種ですが、唯一の種類ではありません。
心理操作は通常、相手の行動に影響を及ぼすための直接あるいは間接的な脅迫。威嚇を中心とします。ガスライティングも脅迫を使いますが、その目的は相手の行動を変えるのではなく、その人自身を変えてしまうことにあります。
ガスライティングと通常の心理操作を区別するのは大切です。
どちらも被害者の自己評価を下げますが、ガスライティングは、それが有効に機能している時、被害者自身への信頼を失わせ、自分の経験を疑わせるのです。
3.ガスライティングがいつも怒りや脅しによって行われるとは限りません。
The Gaslight Effectという本ではグラマー・ガスライティング(glamor gaslighting)と呼ばれるガスライティングに触れています。
このタイプのガスライター(ガスライティングをする人)は、貴方を蝶よ花よとちやほやしますが、貴方が本当に必要とするものは決して与えてくれません。彼等は貴方を理想化しますが、本当の意味では貴方の隣にはいないのです。それどころか、貴方に支えが必要な時、そんな貴方に対して怒るかもしれないのです。
その内に、貴方は何故こんなに寂しくて心が空っぽなのかもわからなくなってしまいます。
別のタイプのガスライティングでは、ガスライターはいつも自分を被害者にします。貴方が何かについて話し合おうとしても、最終的にはいつも貴方が謝る側になっているのです。
私にはこのタイプが一番辛かったです。
個々のガスライターとガスライティー(ガスライティングをされる人)の関係は人それぞれです。でも、私の場合ははっきりとしたパターンがありました。
私が彼に何か言うとします。彼はそれに対して非常に感情的に反応します。私の予想を遥かに上回る反応です。だから私は自分は一体何を言ったのかと考え、どうすればこの状況を改善できるか考えるために一旦発言を撤回します。
そうして私が発言を撤回すると、彼は矛盾していると責めるのです。
そこで私は、自分は彼とコミュニケーションを取るための最善の方法を模索しているからとりあえず一旦発言を引っ込めただけなのだと説明します。(明らかにコミュニケーションは失敗していますからね)
すると彼は私が矛盾したことを言うのは嘘をついているからだと言います。
だから私は「嘘なんて吐いていない。そりゃあ最初に何と言ったかはっきり覚えていないだけかもしれないけど」と言い、彼は「君の記憶は信用できないみたいだね」と続きます。
そうして発端となった事柄について話し合うことはなく、私がヒステリックに泣いて終わるのが常でした。
4.何が起きたのか覚えていないという状態は普通ではありません。
何よりも知っておきたかったのはこれです。
彼の元を去った後何年経っても、ひた隠しにしていたこの秘密によって私は自分の正気を疑い、罪悪感を抱いていました。私はよく記憶喪失になっていたのです。
会話の始めにキッチンに立っていたのは覚えているのに、気が付くと床の上に丸まっているのです。
記憶喪失が起きた後数日は、その間に何が起きたのか思い出すことが出来ませんでした。何の会話をしていたのかすら思い出すことが出来なかったのです。加害者は私と一緒にいる時に—そしてその後何年も公に—私が彼を虐待していると非難しました。
私が彼の元を去った原因の一つがこれです。自分が何をしているのか、そしてどうすればいいのかがどうしても分からなかったのです。それに、私は自分が誰かに対して虐待をしているかもしれないということに耐えられなかったのです。彼が何を体験したのか、私が彼に何をしたのかを理解するために記憶の隅々まで調べました。
勿論私は自分に変えるべき点があることに気が付きました。自分の虐待傾向について真剣に向き合う人なら誰でもそうでしょう。でも、どんなに記憶を探っても、どうしても彼が私の中に見たものを見付けることは出来なかったのです。
ナルシストを見付けられませんでした。Vicious manipulator(悪意を持って相手を操ろうとする人)も見つけられませんでした。Home wrecker(家庭を壊す人、泥棒ネコ)もいませんでした。でも、私の記憶には欠落している部分があったのです。完全に無いのです。そこで私は思いました、「この時なの?この記憶が欠落している時に、私は彼を虐待したの?」と。
記憶に欠落部分があると、貴方の記憶は信用ならないと言われたらそれももっともだと思うでしょう。貴方が虐待をしていると言われても、ありえるかもしれないと思ってしまうでしょう。
でも、ガスライティングの対象になっている時に記憶喪失になるのはよくあることなのです。事実、記憶喪失はガスライティング被害に遭っているかを探る時のサインの一つです。更に言えば、その関係から逃げるべきだというサインでもあります。
(訳者より:記憶喪失になる(black out)という状態はどう考えてもおかしいのに、ガスライティングの被害者はそれをおかしいと気付くことも出来ないほど認知が歪められている、ということでしょうかね)
5.ガスライティングには明確な段階があります(そして関係が終わった後も段階が進むことがあります)
ガスライターにとっては、単に自分が正しいと思うだけではなく、貴方にも彼が正しいと考えてもらう必要があります。
第一段階では、貴方はガスライターがバカげたことを言っていると知っています。それでもとにかく反論します。
何時間も議論しますが、決着は着きません。貴方の感情や意見、貴方の体験などといった、そもそも議論されるべきではないことに関してですら議論の的になります。
正しい必要があるから、理解される必要があるから、相手の承認を得る必要があるから、議論します。
第一段階では貴方はまだ自分自身を信じています。でも、知らず知らずのうちにその自分自身への信頼を議論の余地があるものにしてしまっているのです。
第二段階では、貴方はまずガスライターの意見を先に考え、それからあなた自身の意見を理解してもらおうと必死になります。
ガスライターにどのように見られるかを恐れているので、貴方はまだ話し合いを続けます。
この時点で議論の目的は一つです:貴方は良い人であり、優しさを持ち合わせており、価値のある人間なのだと証明することです。
第三段階では、傷付いた時、貴方はまず最初に「私はいったいどうしちゃったんだろう」と考えるようになります。
ガスライターの観点を正常だと見なすようになり、自分で判断する能力を失い始めます。彼等を理解し、彼等の観点から物事を見ることに全身全霊を尽くすようになります。そしてすべての批判を受けとめ、解決しようと躍起になるのです。
今にして思うと、彼の元を去った時私は第二段階の後期にいました。彼と別れた後何か月も、彼と友人であろうと努力しました。答えを、理解を、赦しを求めていたのです。
最終的に彼とは音信不通になった時、回復するどころか第三段階に移行しました。関係が終わった後も、私が私自身に対して行っていたガスライティングを理解することも、どうやって解決すればいいのかも分かりませんでした。
もし私が過去に戻って昔の自分にアドバイス出来るなら、最低一年は彼とは一切接触しない、とアドバイスするでしょう。もしかしたら、他の被害者達に必要なのもこれなのかもしれません。
一切の連絡を絶つというのは、とてもとても苦しいです。だって、貴方が欲した答えや理解は、手を伸ばせばまだすぐそこにあるように感じているのですから。それを手放すのは辛いです。
でも考えてみてください。貴方はまだその可能性を手放す必要はありません。一年我慢するのです。貴方が回復するのにスペースが必要だからと言って貴方を罰するような人は、虐待者でしかありません。
「一切の接触を断つ」というのは本当に完全に接触を断つということです。共通の友人から距離を置きましょう。SNSではガスライターをブロックしましょう。貴方の身の安全に直接関係ない限り、彼等が今何をしているかといった情報が貴方に伝わらないように友人にお願いしておきましょう。
やりすぎだと言ってくる人は無視しましょう。知るかバカ。
貴方が回復するにはここまでのこと必要なのです。貴方が自分自身にガスライティングを行うのをやめることを学ぶには、スペースが必要なのです。
6.ガスライティング被害に遭いやすい性格というのは確かにあります。でも、それは同時に長所にもなりえるのです。
ガスライティング関係に陥りやすい傾向には三つあります。正しくあろうとする欲求、理解されたいという思い、承認欲求です。
他にも、共感能力が高かったり、ケアテイカ—(誰かの面倒を見る役になりがちな人)だったり、パートナーには出来るだけポジティブな見方をしたいという思い、”people pleaser”(基本的に人に喜んで貰いたいと思って行動する人。文脈によっては八方美人という否定的な意味にも)であるといった特徴が、ガスライティングに遭いやすくさせます。
でも、だからと言ってこれらの素晴らしい長所をつぶそうなんて思わないでください。
貴方には強い信念があるし、他人を思い遣る心を持っています。他人を理解したいし、自分も理解されたいと思っています。自分が他人へ及ぼす影響を考慮出来ますし、周りの人のニーズに応えるために進んで自らを変えられます。
皮肉なことに、恐らく貴方はガスライターに自分勝手で残酷で無関心な奴だと言われたことがあるでしょう。虐待を受け易くなるからと、いろんなことを気にするのをやめるようにセラピストに言われたかもしれません。さて、どうすればいいのでしょうか。
共感能力は重要です。私達皆にとって重要です。私の共感能力は弱さだと人に言われると怒りが湧いてきます。私の共感能力は大きな力です。確かに私の共感能力と共感したいという思いは虐待のサイクルに私を閉じ込めていました。でも、問題なのは私の共感能力ではありません。
批判に耳を傾け、批判を受けて自分をより良く変えていけると言うのは超素晴らしい力です。誰にも異論を言わせてはいけません。問題は変わろうと意欲することではなく、間違った理由で変わろうとすることです。
変化とは貴方を成長させるべきものです。自分への愛情を深めるものであるべきです。貴方を強くし、聡明にし、目標に向かって進んだり、他人とは違った貴方らしさを磨いたりを手助けし、情を深くさせるべきものです。
成長の痛みは破壊の痛みとは違います。前者は苦しい時でも貴方を愛と矜持で満たし、後者は羞恥心と恐怖で溢れさせます。
貴方を変えるために羞恥心や恐怖を利用することは、誰であろうとしてはならないことです。もし誰かがそれをするなら、その人は貴方に変わってほしいと言っているのではありません——貴方を支配しようとしているのです。
7. 貴方は貴方にとっての真実をちゃんと知っています。これまでも、そしてこれからも。
貴方のガスライターは貴方を見てはいません。
貴方は、ガスライターが自分で作り上げた貴方のイメージを蝶よ花よと愛でている傍で、息を潜めている影です。どんなに心がキリキリと痛んでも、貴方はそれが真実だと知っています。
貴方は自分がどんな状態にあるのか知っています。その状態にいる自分を嫌悪していたとしても。振り返ってみれば、本当はいつも何かがおかしいと知っていたのだと気付くでしょう。
ガスライティングによって自分の核をなくしてしまったと感じるかもしれません。でも、本当はいつもそこにあったのです。
警報アラームはいつだって機能していました。ただ、アラームを聞くのをいつの間にか止めてしまっていたのです。貴方が思っているほど、貴方は自分というものを失ってはいないのです。
8. 最終局面は対峙ではありません。何の接触も持たないことです。
映画や文学などでよく見られるのが、虐待加害者と対峙する虐待サバイバーというものです。虐待から何年も後にサバイバーは加害者と向き合い、そうすることで自分自身と加害者に、もう恐れる必要はないのだと示すというものです。
私もそんなカタルシスを求めてやみません。だって今でも恐れているのですから。
でも、ガスライターと直接対峙することではその恐怖と向き合うことは出来ません。境界線を引く力を身に付け、その力に自信を持つことでしか、恐怖と向き合うことは出来ないのです。
ガスライターとどんな形であれ接触を持つということは、相手に貴方の現実に疑問を挟む余地があると言っているようなものです。
貴方の現実は貴方のものであり、そこに疑問を差し挟む余地はありません。
貴方 も私のように頭の中で何百通りもの会話を考えたことあるかもしれません。でも、貴方を苦しめているのはそれらなのです。貴方の現実は貴方にとっての真実です。その真実を疑うような会話を予行演習する必要はないのです。
貴方が誰なのか、何を感じているのか、何を考え、何を意図し、何を経験したのかを他人に決められるなんて馬鹿げています。もしそんなことがあれば怒るか困惑するか、あるいは相手を大丈夫なのかと心配するべきなのです。
驚いて「 何をどうすれば貴方に私の心の中が分かると思うの?そんなこというなんてあなた大丈夫?」と尋ねればいいのです。
でも、私達の多くは理解して貰おうとします。
そうじゃないよ。そんなことがあったんじゃないし、私が感じたのはそうじゃないし、私が感じているのもそうじゃない!
勿論これらはある程度まではもっともな返答ではあるのです。でも、会話の目的が理解を深めるためではなく相手を支配するためのパワーを得ることなら、会話をしても何も得られません。
ガスライティングから少しでも身を守る方法として、会話の目的が何なのか見極める方法を学ぶことを提案します。
相互理解を目的とした会話なら、恐怖も恥も感じることはないはずです。何の話をしているのか分からなくなったり混乱したりということもないでしょう。
この方法なら相手が何をしているのか理解する必要はありません。ただ、貴方がどう感じているのかを理解すればいいのです。最早相互理解が目的なのではないと理解したら、そんな時どうやって会話をストップするかを学習すればいいだけなのです。
以下のようなことを言ってみましょう。
「同意できないということで同意しておこう」
「今混乱して自分がどう感じているのかわからないからこの話は後にしよう(またはもう二度としない)」
「え?何?」
「私が何を体験しているのか貴方に言われる筋合いは無い」
「二度と連絡しないで」
「一にも二にもコミュニケーション」「コミュニケーションでどんな問題も解決できる」のではないでしょうか?
それは魔法の呪文かもしれません。でも間違っています。
両者の目的が相互理解である限りは、たいていのことはコミュニケーションによって解決できます。しかし相手が貴方の経験をすり替えようとした瞬間に、少なくともその問題に関しては、コミュニケーションを止めるべきなのです。
9.恐怖と対峙しなければなりません。
どんなガスライティングも、何らかの脅威の元に行われます。私にとってはその脅威とは最初は彼からの非難であり、その次には彼との関係そのものが脅威にさらされ、最終的には彼の命をたてに脅迫されました。
これらの脅威に一つ一つ向き合って初めて、私はガスライティングに向き合い抵抗する術を身につけることが出来ました。
悲しくて仕方がありませんでした。一週間ベッドで過ごし、彼との関係に費やした全てのものを思って泣きました。私を囚われの身のように感じさせるものへの愛着や執着を一つ一つ断ち切っていきました。
あまりの恥ずかしさに泣きました。そしてそれに耐えるための力を身につけようと努力しました。彼と築くはずだった家庭を思って泣きました。彼との関係を思って泣きました。最終的には、彼は私に彼の命の責任を追わせようとしたけれど、果たしてそれは正しかったのかと自問するようになりました。簡単なことではありませんでした。
彼との関係が終わって半年経った頃です。もう彼に未練はないと気付いたのです。気が付けば(彼との関係の終わりという)恐怖と既に対峙していたのです。自分の中にある恐怖と一つ一つ向き合い、その度に一歩前へ進み、最後には自由になれたのです。
10.ガスライティングは家庭内やポリアモリーやその他の集団内において増長します。
自分が経験したことに疑問を差し挟むのが一人いるだけでも大変なのに、何人ものサポーターがいた時にはもうどうしようもないですよね。カルト集団によって個人の人格が完全に破壊されるのには理由があるのです。
集団による心理操作や虐待は、恐ろしいほどに効果的です。
貴方にとって大切なグループのメンバーが一丸となって攻撃してきた時に、何故これほどまでに羞恥心や恐怖を感じるのか、簡単には説明することが出来ません。集団の持つこの力を不当に利用したり、知らず知らずのうちに虐待に加担したりすることがないよう、ポリアモリーの集団では最新の注意を払う必要があります。
どんな関係でも終わらせる時には羞恥の念や罪悪感が付き物です。誰だって悪者にはなりたくないですからね。でも、誰かの自己評価を低下させるような関係に加担しない義務が私達にはあるのです。
誰のせいなのかは関係ありません。不公平だろうと関係ありません。もっと大事なことがあるのです。心身ともに健康であるために必要なことをするからといって、互いを罰しないようにしましょう。
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