自分の求めることを言語化することは、伝わること以上に感動と喜びを生む
私は今年から、レタッチの案件は受けないことにした。
というのを、はっきり明言したのは今日なのだけれど、
先月、妹にペンタブをあげたので、その時にはもう決めていたのだと思う。
そんな中で今日、お得意様からご連絡をいただきレタッチのご依頼をいただき、正直に「連絡が遅くなり申し訳ございませんが、今年からレタッチの業務はやらないことにしようと思っています」という旨を伝えた。
「それならもっと前から言えよ」という感じだが、なかなか踏ん切りがつかなかった。
他の業務での繋がりもあるお取り引き先で「引き続きよろしくお願いいたします」という優しいお返事が届いた。
なぜそこには感動が生まれるのか
現在のご担当者様とやりとりをしていて感動することが多々あって、この機会になぜそこに感動が生まれるのかを考えてみようと思う。
お仕事の条件は以下の通り。
現在のご担当者様以前
現在のご担当者様になる前はこうだった…
これを最初にみて思ったのは、「乱れている」「目立つ」「気になる」などの基準は人によって違うということ。
この基準は、会社としての基準、各ご担当者様の基準も異なるのでは?という部分も気になる。
端的に言ってしまうと総括して言葉だけで指示を出すなんて無理がある。
「修正のレベルはサイト内の画像で判断してください」
と書かれていたけれども、修正前の画像と比較できるのであればまだしも、私たちレタッチャーが見られるのも最終版のサイトに上がっているものだけ。
結局、どこからが修正が必要で、どこからが修正が不要なのか、枚数が枚数だけにこちらでの自己判断が必要になり、レタッチ以前の部分に思考と時間が取られていく…。
現在のご担当者様
現在のご担当者様はこう。
一言で言って、指示が細かく、明確になった!
自分で修正の要・不要を判断する必要がなくなり、判断にかかっていた時間が不要になったのと共に精神的な負担も減った。
結果として「レタッチの作業に集中できる様になった」。
ここで起こった変化は、レタッチの作業に集中できる様になっただけではなかった。
<他に起きた変化>
・向上心がアップした
→時間的・精神的余裕ができたことで、自分の知らないやり方を前向きな姿勢で調べ、より綺麗に仕上げる方法を模索する様になった
・私自身も判断基準がわかるようになってきた
→毎回詳細に伝えてくれることで、私の頭にも判断基準が蓄積され、ご担当者様が書き忘れていても、こちらで修正するようになった
まとめると「判断基準が明確になったことで、安心して積極的に取り組むことができる様になった」。もっと簡単に言うと「担当者様が作った良い環境が、私のポジティブな気持ちを作った」。
その結果として「信頼関係」が生まれた様に思う。
現在のご担当者様がすごいのは指示だけではない
ご担当者様がすごいのは指示が細かいというだけではない。
「丁寧なフィードバック」
毎回、案件毎に丁寧なフィードバックをくれる。
レタッチはいつも違うモデルさん、違う洋服、違うスタジオで撮られた、違う写真に処理をする。
毎回、今回はあんな感じで大丈夫だっただろうか?と不安になる。
そんなとき「今回もバッチリでした◎」という言葉と共にとても丁寧なフィードバックをくれて、良かったところ含め、もっとここは強く修正しても大丈夫◎なんてことも教えてくれる。
ただただ媚を売るということではなく、自分の求めているものをより正確に伝えるために、今回どうだったのかを具体的にフィードバックをして、今後、より理想に近付けていくための2人3脚の作業。
「勘違い」を起こさせない伝達技術が、安心と信頼を生む
ここまで見ていると「思いやり」や「気遣い」がすごいと思われるかもしれないけれど、本当にすごいのはこの方の持つ「伝達技術」。
全く違う環境下の、全く違うバックグラウンドを持った、会ったこともない人に、自分の欲しているものを言葉にして、テキストで明確に伝える技術。
細かく明確に伝わる様に言語化することで、相手に勘違いをさせない、余計な迷いを産まない、時間の無駄をさせない技術。
ここに本当の意味で相手を思いやる気持ちがこもっている。
私が、現在のご担当者様からのメールから抱いた印象は3つ。
①私と良い関係を作ろうとする意思
②仕事仲間として対等に捉えられており、レタッチャーとして尊重されていること
③共によりよいものを作っていきたいという同じゴールを目指していること
これは文面に書かれている訳ではないけれど、大量の写真1枚ずつ確認して指示をくれる行動や、メールの文面から滲み出てくること。
この方はこの伝達技術により、相手に「安心」と「良い関係を築けそう」というハッピーな印象を配り歩き、信頼関係を築いている。
きっと、私だけでなく、会社でも、仕事以外の家族や友人も、さまざまな人間関係において、こうやって多くの信頼関係を築いているんだろうな…と思った。
テキストから見えるもの「相手との関係性の捉え方」
これらの対応をご担当者様がしてくださっているのは、「優しいから」「親切だから」という言葉で簡単に済ませてはいけない。
ご担当者様からいただくメールからは「外部パートナーである私を対等に捉えていること」がよくわかる。
どんな言葉遣いで、どんな言い回しをして、どんな風に伝えようとしてくれているのか。
対等というか、いつも尊重してくれる。
言葉も対応もそれが表れていて、人として本当に素晴らしい方だなと信頼というか、尊敬しているし、メール1つとっても感動することすらある。
相手に伝わる様に伝えることが「言語化」
日本人だし、日本語知ってるし、簡単に通じ合える!かというとそうではない。
いくら言語を知っていて相手に伝えても、全く違う環境下の様々なバックグラウンドをもった人でも理解できる様に伝えられなければ、ただの「独りよがり」。
いくら言葉で伝えても、独りよがりの場合は「信頼関係」どころか「不信」に繋がる。
面倒臭さや遠慮から自分の求めることや思いを言葉で伝えない行為もまた、「不信」に繋がる。
「言語化」というのは、ただ自分の頭にあることを言葉にすることではない。相手に伝わる様に言葉にして伝えることを「言語化」という。
特にテキストは、お互いの関係の捉え方や、その人の在り方までもが見えてくる。
「てことは、私の汚れた人間性までもが滲み出てしまうのか…」と落ち込むことはない。
「相手に伝わる様に伝えたい」
「きちんと繋がって信頼関係を築きたい」
そんな気持ちで書いた文章は、そういった気持ちが滲み出た文章になり、それによって信頼関係ができ、その行動と姿勢が尊敬と感動を生むのだから。
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