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忍耐の代償は一体何なのか
「それがどうしたんだ。甘ったれるな。」
そう言って先生は私を冷たくあしらった。甘ったれてなんかいない、そう言い返そうと思ったけど、その言葉は喉の奥にしまい込んだ。そして、感情を殺して、風が吹き抜ける外へと向かった。
心も身体もいつも以上に寒かった。
中学生の時陸上部に所属していた。小学生の時から走るのは得意だったし、自分には団体競技が向いていないと思っていたので中学生になった時、陸上部に入った。陸上は自分との戦いだ。そして、つらい練習をこなし、弱い自分を鼓舞して練習に打ち込んだ人だけが結果を残せる世界。どんな辛いことがあっても、負けてはいけない!そう自分に言い聞かせて走り続けた3年間だった。
甘ったれるな。
甘ったれてなんかいなかった。走ることがキライだから休みたいわけじゃなかった、めんどくさいから練習に行きたくないわけじゃなかった。ただ、本当に脚が痛かった。前日、脚に激痛があり、眠ろうにも寝ることができないほど激しい炎症を起こしていた。でも、先生から「甘ったれるな。」と言われたときは、自分は甘ったれている、泣き言を言っているんだ心のどこかでそう感じた。
親にも他の先生にも同じことを言われたことがある。
それはピアノに対してもそうだし、空手に対してもそうだった。どんなに練習が出きれない時も、ピアノに行かないということは親から許されなかった。そして黙って先生に怒られた。それから、恥をかきたくないから、自分がダメな人間だって思われたくないから必死で食らいついていった。
そして、忍耐で身につけたことの代償は自分が、そして人が弱音を吐くことへの嫌悪感だった。そして、付属品は、自分の感情を押し殺すようになったこと。
甘ったれるな。そう言って私は忍耐を身につけた。そして、小さなことでも泣き言を言ってはいけないそう思って自分の感情を殺すようになった。自分の辛いことを人に言うということは、自分が弱いから。もっと忍耐をつけなければいけない。時に人に対しても、「そんなことで泣き言言わないで。甘えないで。」そんな風に思ってしまうことがある。最低だ。
いいのか、悪いのかわからない。でも、これから「忍耐」といい関係を築いていきたい、そう思っている。