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生産的でなければいけないという私の中のマントラ
私は生産的な一日を過ごせてないと思うと自分に対して怒りに似たような感情がわいてくるのが分かる。焦るのだ。大切な一日を無駄にしてしまったんじゃないかと思って。周りは、そして世界は前進しているから私は置いてけぼりにされちゃうのではないか、そう思って怖くなる。
これって一種の病気だろうか。
特に、このゴールデンウィークの時はこの焦りが大きかった。オンラインコースを受けていても、本を読み終わっても、料理を作っていてもなんか充実感がないのだ。ひたすらモヤモヤとする。このモヤモヤがどこから来るのか、特定しようとしてもそれができない。だから一層、焦りに似たような感情が出てくる。
世界は前進しているのに、私は置いてけぼり。こわい。
でも、いらない段ボールをたたみながらひたすら考えを巡らす。そして私のっ心は呟いた、「なれるかもしれないけど、自分の努力不足や知識不足のせいでそれに到達できないのが怖い。」それは、なんだか正しい気がした。頑張れば、努力すればなれるのに、あきらめたせいでなれないのだ。そんなのヤダ。
頑張って、努力して、目標を達成しろ!そんな、マントラのような社会の常識を聞いてきた私は、目標を達成したいのなら生産的であれ!という自分独自のマントラを開発して自分に言い聞かせてきたのに違いない。だから、非生産的な日を過ごすことで罪悪感を感じてしまう。
でも、自分の価値観と相反する目標や、意味を感じない自分にとって大切ではないゴールのために生産的になるのもばかげているとしか思えない。それでも、私は焦る。急がなければいけないと思う。急いで、焦って、何かしらの目標に到達したとしても私は幸せなのだろうか。なんか違う気がする。
これを書き終わろうとしている今、私にはよくわからない。でも、「生産的でなければいけないという私の中のマントラ」を頭の中から追い出したいのは確かだ。
写真:PexelsのMoose Photosによる写真