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彼氏のためにスカートを買う私がキライ

私は彼氏のために買ったスカートがキライだったわけではない。彼氏のためにスカートを買う自分がキライなのだ。

去年の夏ごろ私は彼氏と別れた。その時、ふと我に戻って驚いた。今までの人生で買おうとしたこともない、私から見たら趣味が悪いとしか思えない服が私の引き出しに入っている。「なんでこんな服が入っているんだ。」そう思って記憶を巡らす。これは確かに私が買ったものだ。彼氏と別れて正気になったのだろうか、そこにいたのは劣等感と本当の自分を隠そうとしていたみじめなワタシだった。

私は、スカートを好んで履くような女性ではない。花柄の服は好きだけど、ワンピースも嫌いではないけど、スカートは嫌いだ。腰のあたりにまとわりついているのが鬱陶しいし、歩きにくい。それに、履きなれていないせいか違和感しかない。ジーパンかショーパンが一番!そう思って生きてきた。でも、私には恐れがあった。

「私は、女性らしくない」

女性らしくないから、大切になれないのではないか。女性らしくないから、いつまでたっても彼氏ができないのではないだろうか。子供の時から、空手を習い、男の子が着るようなウェアばかりを着ていた。それに加え、ショートカットだった私は、何度男の子に間違えられたかわからない。そんな思い出から形成された恐れは、せめて彼の前では女性らしくありなさい!と語っていた。

真の自分を隠そうとして、恐れに屈した自分にがっかりした。私は、自分の生き方に、自分自身のスタイルにプライドがない人間なのだろうか。そうではないと信じたかった。心の底では、どこにいても、何をしていても本当の自分でいたいと切に願っていたし、今もそれは変わらない。

恋は盲目。

恋は盲目であることは間違いはないけど、人は中から湧き出てくる生き方や真の自分に盲目ではいけない。恐れに屈してもいけない。私が、本当のワタシであるために、もうスカートは買わないだろう。


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