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物体っていったい

絶賛コロナ禍在宅勤務中、異様に昔のことばかり思い出してるんだけど、みんなどんな感じなんでしょうか…これって私だけなんだろうか…怖い。


今TOKYO MXで毎週セーラームーンを放送してるんだけど、やっぱりセーラームーンって最高だ。

子供の頃にやってたものだからって「思い出補正」がかかってるわけじゃない。視覚的な引力がすごい。武内直子…と製作陣?のフェチが盛りに盛り込まれてる。でもお話はやっぱりアレだから一応子供向けに作られてるので正しいんだよな…???

フィギュアスケートファンの武内直子の身体・コスチュームへの曲線的なフェチと、宝石店の娘ならではの人を惹きつける色彩感覚と、お金持ちならではの発想の大胆さと。

女の子の身体や仕草ってこういう所が可愛いんだよね〜とか、ファッションでこういう風に遊べるから女の子って楽しいんだよね〜って改めて思わされる。
(もう全然女の子じゃないから一方的に見ててそう思うのね)

私の物欲は、マジで小学生の時にセーラームーングッズに対してで、全て使い切ってしまった。本当に全てのセーラームーングッズが欲しくて欲しくてたまらなくて衝動が抑えられなかった。

ダイクマで親が折れるまで泣き叫んで買ってくれと交渉したことは数え切れないし、セーラームーンのロゴでも使い回しの絵でもプリントされてる物は絶対に捨てられなくて、カードダスの袋やソーセージの紙箱まで全部神経質に取ってあった。コンプリート欲と所有欲と独占欲。

正直セーラームーングッズ以外のことはどうでも良かった。祖父母や親戚が遊びに来ててもセーラームーングッズに触りたかったし、友達と遊んでても早く家に帰ってセーラームーングッズに触りたかった。
(こう見ると今よりもちゃんとオタクだな…)

うちの親は子供に対しても謎にシビアなことを言うところがあって、当時は「こんな子供騙し」「これここに絵が入ってるだけなんだよ?」「これ音が出るだけだよ?」とか死ぬほど言われた。

なかなか買ってくれないから意地になって執着したわけじゃない。何かの理由で買って貰えた時は、缶ペンでもオモチャでも枕元に置いて寝るほど、それを持ってることが嬉しくて幸せだった。


今って何か物体に対してそこまでの高揚感を持つことができるだろうか…?

よく考えると、当時はその実用性や、それで遊ぶとどれだけ刺激的な展開があるのかなんてことは全く価値に関係なくて、兎にも角にもその質感に恋をしてたんだなと気付く。

セーラームーンの絵がプリントされていること、セーラームーン独特の色の濃淡があることで全ての物体が永遠に眺めていたいほど宝物になった。

今ってどうなんですかね?

これだけ物や情報が溢れてて入れ替わりも激しくて、大人も子供も物体としての宝物が生まれる機会がとっても減っているんじゃないか…という気がした。

うーーん。情報があるから物ってないほうがいいよね〜って時代に、物がなくなってきてからやっぱり物っているよねという気になってきたってだけの中身のない日記でした。

人生って反復の連続ですね。

かしこ。

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