感謝って湧き上がるもの
びっくりした。何って、こんな単純なことで、人間ってこんなに幸せになるのか、って。
わたしは急いでいた。11:30に閉まってしまう病院に行くためだ。予約は要らない、けれど家から1時間かかる場所にあり、事前に調べたグーグルマップの表示ではこのままいくと11:25に到着予定となっている。バスに一本早く乗れたから少し時間は稼いだ。けれどそのあとの電車はあと4分で来てしまう。その前に電子マネーにお金をチャージしなければならなかった。絶体絶命。わたしはチャージをするために受付の列へ走って向かった。なぜスーパーはこんなにもキャッシュレスなのに、チャージする機械が各駅にないのだろう。そんなことを思っても何も変わらない。着いた。あと二人か。すると、黒人の女の人が何やらわたしに目配せをする、「どうぞ」。手の動きからもそれが分かった。その瞬間、わたしは自分の自己中心的さに押しつぶされそうな罪悪感と、これで恐らく電車に間に合い病院に行けるだろうという安堵の感謝が溢れて泣き出しそうな心情だった。改札を走ってくぐり抜け、出発時刻を待っている無表情な電車に飛び乗る。ほっと一息ついた。そのうちになにか押し寄せてくるような胸に込み上がる温かさを感じた。少し、自分自身の反応に驚いた。自分が逆の立場なら、同じことをしていただろうか。と考え、思い直す。できるだろうが、外面だけを見て声をかけるほど確信が持てないことはやらないだろう。いや、そもそも問題はそこではない。そうか、最近のわたしはあまりにも他人に優しくされた経験に乏しかったんだ。自分で自分に「優しくされる価値のない人間」というレッテルを貼り、他人と接触しないことで交流による感動もなければ期待もしない、全ての感覚が麻痺した状態になっていた。人間として周りに見えているんだ、認識されているんだ。その感動だった。そして優しくしてもらっていいのだ、世界は優しかったのだ。ふと何か大事なものが見えないところから降りてきて肩の上に乗ったのを感じた。それは、今のわたしに欠けているものだった。譲ってくれた女の人へ心から感謝をして。次同じシチュエーションがあればわたしもしよう、と心に決めて。
彼女にも良いことが起こりますように。ありがとう。
どうも〜