この人生が終わった先に残るもの
昔から文字を書かされることが嫌いだった。特に読書感想文。あの始めるまでの憂鬱といったらない。親には毎年のように追い立てられ「またえりんは読書感想文最後に残して」と言われる始末。もはや何が嫌なのかすら分からない。でもその一方でどこかに文字を書いて隠しておく習性もあった。恐らく一番最初は幼稚園の頃に書いた「未来の自分へ、現在の日記」のようなものだったと思う。今それがどこにあるかは知らない。けれどそれを自分がその時に大事にしていた宝石(ガラクタ)と一緒に宝箱にしまっていたのは覚えている。それくらい小さい頃から自分のしたためた文章を大切に持っていた。書かされた作文だとか感想文だとかは家に帰ってきた瞬間には引き裂いて殴り捨てていたのに。自分が残しておきたいものと中身のない空っぽな枠組みはどうらや違うらしい。自分から衝動として出たものと周りに見せるために書いたもの。どの表現者もそのギャップに悩んでいることがどこのインタビューにも見受けられて「なーんだみんな一緒じゃん」なんて抜かしたことを思ったときもあった。ところで、死んでも残るものは物理的なものと他人の証言だけだ。例えばわたしが突然死でも遂げればよくわからないクラスメイトの戯言がテレビでは流れ「とっても良い子でした、友達もたくさん居て。」なんて言われるんだろう。その子が悪いわけでは全くない。もしそれを厭うのだとすればそう振る舞った私の所為だ。手紙が出てくればそれが現実との差異として証拠品のように検証されるだろう。どれも本当で真理で嘘ではないはずなのに真実を暴こうとする。全部そのまま受け入れてよ、その先に意味なんてないのにさ。
どうも〜