2/11/24(日) 初詣と憧れ
よく晴れてあたたかい。旧正月はお店もほとんど閉まっていて、うちの近くで空いているのは、コンビニ、カルフール、新東陽、くらい。コーヒー屋さんが一軒空いているので、豆が切れても大丈夫。近所の大安森林公園には家族連れ、犬連れ、子連れがたくさん。ベンチのポータブルカラオケおじさん復活。東屋のサックスおじさんも復活。今日も老歌を延々と吹く。電動車椅子で家族と芝生を駆けまわるお年寄りもいる。途中、広東語なまりの中国語で道を聞かれた。香港から来た人だろう。暑い暑いと青田街を歩いていると、母と私を後ろから、電動車椅子で並走する老夫婦がサーっと抜いていく。モンゴル・チベット文化センターの桜が花開いている。
今日は初二。回娘家、嫁に出た娘たちが実家に帰る日だ。台中に嫁いだいとこも四季に帰っている。春節、旧暦一月一日の2/10を初一として、そこから初二、初三と数え、初五の2/14までお正月休み。
台湾で初詣に行ったことがない。廟に対して憧れがずっとある。廟、漢人の信仰について、私はほとんど何も知らない。すぐ近くにあるのに全然わからない。そのわからないものは、キラキラギラギラ、キンキンキャンキャン、人がたくさん集まり、音も光も、生命力に溢れている。ずっと気になっているけど、これは神様のこと。いつかご縁があるならあるだろうということにして、今も憧れのままだ。
漢民族の文化習俗に触れる機会がないまま、母と日本に移民し、台湾に戻っても、やはりタイヤルの家族に囲まれている。うちの家族は台湾原住民の典型でほとんど皆クリスチャンなので、春節は家族でちょっと豪華なごはんを食べるのと紅包をあげる・もらう以外、特に何もしない。母が子どもの頃はタイヤルの新年の儀式がまだあって、新年、家の外に出てはいけなかったらしい。そういう習慣は部落にはもうない。その代わりみんな教会へ行く。部落にはカトリックとプロテスタント、両方の教会があり、これも原住民部落の典型。知り合う漢人は、マイノリティである原住民に寄り添うタイプの人が多く、「教会」という共通項で、教会ネットワークを通じて原住民の土地問題や権利運動に関わっている漢人のクリスチャンも多い。
私が漢人の初詣が気になったり廟が気になったりするのは、日本で初詣に行ったり、近所でも旅先でも神社とかお寺に行ったりするのを楽しいと思って育ってきた、そういう日本人的な感覚も関係あるんだろう。母は廟に全く興味がない。日本でも母は神社仏閣に一切興味がなかった。
「台湾人の廟都是キンキンキャンキャンキンキンキャンキャン、うるさいよ、我真不喜歡」
と首を振り、タイヤルは誰もああいうのは好きじゃないね、聞いたことない、ウィー、リュフカツァ、あんたやっぱり変だね、それか音楽家だから研究か?と、妙な目つきで私を見て笑う。
散歩から帰ってきて、テレビをつけると、ちょうど春節の廟の初詣的ニュースが流れている。私の憧れは今年もすっごく元気。
まだコロナ真っ最中の頃、当時また本数が限られていたワクチンの接種券をめぐって、そっくりのことが起きていたのを思い出した。接種券申込開始、その当日の朝、警備員が区役所の門を開け放つと同時に、まさに春節、廟で搶頭香をするかのような勢いで、受付窓口へ向かって我先にと猛然ダッシュする人々の映像がニュースで流れていた。
お正月休みの間に、マオリの若者と訪ねた基隆〜科教館〜新竹尖石鄉への旅の振り返りをしたい。基隆から始まるこの旅を企画した人は、30年近くタイヤル部落に深く関わり続けてきた、クリスチャンの漢人だ。