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#18 私の名前の痛み

 やっと晴れてうれしい。山の向こうに見える雲が夏の形をしている。
 昨日みたいな雨の日もそう嫌いじゃない。まだ台湾の記憶が身体にあるからか、昨日みたいないかにもジメジメした梅雨の日も結構過ごしやすいと感じる。湿度が高いだけで、気温35度だったりはしないのだから。空気中を湿度の粒たちが満たしているような昨日みたいな日、人の手で整理されることもほとんどなくぼうぼうと生い茂っている草木を眺めていると、なんとも心が満たされていく感覚がある。葉も茎も枝も幹も、外界に触れるすべての点たちが、面となった全体が、空気中に満たされている小さな水の一粒一粒を受け取って、空気と触れ合い続けているのがまるで私にも見えるようだ。

 そう思いながら写真を撮ったりして歩いていたら、坂道ですっ転んだ。転んで膝から血を流す怪我をするのは今年2回目。転ぶなんて子供の頃以来ほとんどなかったので、ちょっと新鮮というか、いろいろ揺さぶられたのか、立膝の状態から立ち上がってみると妙にテンションが上がってきて、にぎやかにひとり言を言いながら残りの坂道を下った。
 昨日貼ってもらった絆創膏がパンパンに膨らんでいるので貼り替える。昨日はここ数年お世話になっている鍼の先生に鍼を一本打ってもらった。転んだ後の一本。信頼できる鍼の先生がこの世にいるというだけで、絶大な安心感がある。自分ひとりで自分だけのバランスを探しながら生きることは変わらないけど、そのことがそこまで孤独ではなくなる。

 帰りの電車は引きずり込まれるように眠い。藤沢駅に着いて、名店ビルの地下でカツオのお刺身、小かぶ、水菜、新生姜(嫩薑が本当はほしいんだけど、日本の新生姜はまあまあ近いかんじ)を買って、一旦家に帰る。ここで買い物するたびに、名店ビルみたいな豊かさっていつまで日本にあるんだろうと、すごく幸せなんだけど、ちょっと複雑な気持ちになる。ここがなくなったら、ここで私がいつも感じてきた幸せみたいなものも一緒になくなるのか。この世界のすべては絶え間なく変化し続けるバランスの中にあるのだから、このビルももちろん、昔ここにあったいくつものお店が取り壊されたみたいに取り壊されて、その上にいかにも今っぽいビルが建って、それもいつか壊されて、そうやって続くものなんだろうし、私が感じる幸せもいろんなふうに変わっていくんだろう。

 カツオを食べて稽古へ。ドイツに出発するまであと10日ほど。その後は台北。日本にいる間は日本でしかできないささやかな贅沢を思いつくかぎりしていたい。

転ぶ前に撮った写真。小雨が降っていて、波の音を聴きながら転んだ。


 稽古の合間、コロスのみんなに、
 「エリさんのリャオってどういう意味ですか?」
と聞かれたので一応ここでも書いておくと、リャオは名字です。
 「リャオね、名字」
と言ったら舞台下手側のコロスのみんながちょっと笑った。わからないよね。もしかして謎の芸名だと思われてたのか。ちなみに漢字で書くと、廖。チェンとかリンとかワンとか、佐藤・鈴木・田中くらいポピュラーだったらもうちょっとわかりやすかったんだろうけど、リャオも漢字文化圏の中ではまあまあ見かける名字です。長谷川くらいの頻度では見かけるイメージ。そう考えてみると、日本語の名字のバリエーションの多さって、漢字文化圏の中で圧倒的な気がする。なんでなんだろ。居酒屋で何人かで飲みながらあーだこーだ話して笑ったりしてみたい。テレサ・テンも「テンってなんですか?」とか聞かれたりしたんだろうか。テンもリャオも、カタカナになるとなんとなくユーモラス。

 もうひとつちなみに書いておくと、ほんの70年ほど前、うちはなんだかたまたまリャオになって、リャオには特に意味も伝統もない。でも漢字そのものには意味あるよな、と今ネットで調べてみたら、
 「意味:むなしい、また、まばらなさま。」
と出てきて、ちょっと、こんな名字、あんまりではないかと笑ってしまった。姓としては古いそうで、中国の伝説的な帝王・舜の時代に龍を飼ってた人のお父さんがリャオ家の始祖らしいが(中国ってこういうところが面白い)、中国の伝説や龍は、うちとはたぶん全くもって何の関係もない。リャオは、台湾が戦後国民党に統治されてからの世、台湾原住民にランダムに与えられた中国語の姓の一つで、どれだけランダムかというと、役場の窓口の人がよく使われる名字一覧表みたいなのの中から、
 「はい、おたくリャオね」
って感じでひとつ選んで指定して、そうするとそう言われた人の一族ごと、訳もわからずその瞬間リャオになった!というランダムさだ。原住民たちの中国語姓の始祖がいるとしたら、窓口の人になるのか。
 担当の人がいい人だとこちらに選ばせてくれたみたいよ、とおばに聞いたけど、でもそんなふうにやさしくされても、こちらはほとんど中国語が話せない人ばかりだし、読み書きできる人なんてもっといないんだし、中国語も中国人の名字のことも何にも知らない人たちにどうやって選ぶように声かけてくれたんだろう。見た目の雰囲気で選んでいいと思うよ、とか? それとも漢字一覧表の上でコックリさんみたいに、鉛筆を持って目つぶって手を動かして、「ストップ!」って言って鉛筆が止まったところにあったやつにしてみる?、とか?
 今後日本がもしかして中国に統治されることになって、ある日みなさんも役所でいい窓口の人に「名字どれにしますか?」って聞いてもらえたら、みなさんどれにしますか? 私やっぱテンかな。なんと言ってもテレサ・テンだし。もうリャオ持ってるからそのままリャオになりそうけど。

 それにしても廖なんて画数多いし書きにくいし、みんな苦労したと思う。林とかに田とか、書きやすくて覚えやすいのにしてくれればいいのに。うちはリャオだったけど、親戚には、チェンやらリーやらホーやらライやらいて、みんな窓口の人の事務作業の中である日突然チェンとかリーとかになっていったわけだ。タイヤルの名前にははそもそも名字がない。(原住民みんな名字を持たないわけじゃなくて、姓がある民族もある。)「廖」という、まさに借りてきた姓にそこまで思い入れはないけど、でも家族みんなの名前にリャオって入ってるから、そういう意味では愛着がある。

 この間、時々ライブをしている茅ヶ崎のジャズクラブで、
 「エリちゃんの名前、中国語で書いてみて」
と言われて書いた。このお店のママも台湾にルーツがあって、話が弾む。渡された紙に「廖惠理」と大きく書いた。エリ・リャオは漢字だと廖惠理なんです。私って感じ、しますか? 
 私は生まれた時から廖惠理なので、廖惠理は当然自分って感じがするのだけど、 なにって、「エリ・リャオ」というカタカナ表記に慣れるのにものすごく時間がかかった。だいたい自分の名前の真ん中に中黒があるなんて。これどうやったら取れるだろう???といろいろ試してみたりした。どこかでそういう表記を見かけて、中黒を半角スペースに置き換えて「エリ リャオ」でしばらく試してみたり、廖惠理をそのまま日本語読みにして「リョウエリ」にしたり、でもどれもやっぱり落ち着かなくて、まあジャッキー・チェンもトニー・レオンもビビアン・スーもジュディ・オングも、みんな日本じゃ中黒入れてカタカナでやってるんだから、私もそこに連なると思えばいいか、ということにした。それでもようやく心が落ち着くまで数年かかった。

 私の中の日本人的感覚からすると、今はもう慣れたけど、自分の名前の中に「・」って記号が入ってるって超絶違和感だ。日本で歌い始めた時、アメリカから戻ってきたばっかりだったので、Eri Liao と英語表記なのが一番普通に感じたし、英語にしておくのが一番ニュートラルかな、と思ってそのまま Eri Liao でやっていた。それが自分のトリオ Eri Liao Trio のCDをリリースすることになった時、CDの流通会社の方に、
 「登録上カタカナ表記が絶対必要なので」
と言われて、なんとそれではじめて「エリ・リャオ」と私はカタカナでも名乗ることになった。カタカナで自分の名前を書くのはこの時が生まれてはじめてだ。2017年。正直ものすっごく変に見えて、私全然こんな名前じゃないのにと思って、流通会社に責任があるわけじゃないが、その会社も日本のCD業界も丸ごと嫌いになりそうだった。でもそっか、ここ日本だもんな、と思った。
 
 中黒もそうだけど、「リャオ」っていうのも全然しっくりこない。こんな字面も音声も、普通の日本語空間の中にまずないし、「ャオ」っていうカタカナの並びなんて私にはギャオスぐらいしか思いつかない。ミャオ族っていうのもあったか。日本語にされた時の違和感で言ったら、Itaú Unibanco が日本じゃ イタウ・ウニバンコ銀行 だったり、Superdry 極度乾燥(しなさい)をはじめて見た時の困惑みたいな、日本語っちゃあ日本語だけど、、、さすがにこれはちょっと変だよね、っていうあの余韻の長い苦笑いみたいな感覚が、まさか私の名前の中に入り込む余地があっただなんて、ひどい衝撃だった。かといって「廖惠理」と中国語で名乗るほど、この中国語名が私のいろいろを一番よく表してくれるとは思えなかった。


 今こう書いてみてはじめて気がついたけど、私が日本語の世界で「エリ・リャオ」だという事実を受け止めて受け入れるのに、私って6年かかったんだ。2017年から2023年までの間、自分が歌うコンサートのポスターに「エリ・リャオ」と書かれてあるのを見たり、自分でフリガナを書いたり、郵便物の宛名に見たり、誰かのSNSの投稿に見たり、そうこうしていくうちに、この名前を見ても聞いても自分で言っても、私の中で特に何の感情もおこさなくなってきた。6年。自分の名前についての痛みを、ようやくこうして話せるようになったということは、6年かけてやっと痛みが癒えてきたということか。エリ・リャオ、私ですよ。


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