人を助けたい気持ち
最近、自分がおせっかいなのかと疑問を感じている。
そして、もし、そうだとしたら、反省している。
余計なことをしているのかもしれないから。
妹にも指摘された。「お姉ちゃん、その人のことは本人に任せて、あまり言わない方がいいよ。しつこく思われるよ。」と。
でも、自分のいいと思うことを伝えてあげて、相手を助けられればと思ってるので、悪いとは思わない。
ただ、他人を助けてあげたい。別に正義の味方になろうとしているわけでもない。
いけないことなのだろうか?
それに、セラピストだから仕方ないと思う。
助けてあげようという職業病だ。
もちろん、健康に関連することだったら、自分の意見を勧める。押し付けようとしているのかな。だって、それがその人にとって良いのだから。
実際、仕事上では、患者さんに「じゃあ、家で、こういうことをしたほうがいいよ。」と言ってあげても、私の言うことを聞いて、実行する人はほとんどいないのだけどね。
そういうもんだと先生にも言われてたから、慣れている。
それにしても、私はいつも、ただ、助けてあげたいと思ってるだけなのに・・・なんだか、しつこくなっているような気がする。
よく考えると、私は昔から人を助けてあげる方だった。
小学生の頃に、弱いものいじめが嫌いで、見たら、助けてあげていた。いじめてるのが男の子だろうと構わないで助けた。
クラスで、嫌われている子(学年が上がって、クラスが変わると、必ず一人いたのは不思議だ)がいたら、そういう子と率先して仲良くなって、遊んであげたりした。周りから私がどう思われようが、一緒に嫌われようが全然気にしなかった。実際、私は嫌われなかったけど。
今考えると、そんないいことしてたんだなって思った。
小さい頃の人助けの習慣が、年齢を重ねて、さらに人を助けてあげたいという気持ちが強くなってきているのかもしれない。
いろいろと考えてみたら、それは、相手にとっては、おせっかい、でしゃばり、余計なお世話、ありがた迷惑、無用の親切になってるのかもしれない。
気をつけないといけない。
助けたい人と言うのは、 自分のフィルターでは困っているように見えるだけで、その人は自分の選択でそうしている。あるいは、機が熟すれば、自分でその状態から逃れられる。
黙って、観察する習慣をつけようと思う。
助けてあげたいと思うのは、自分が助けてあげられると思うエゴなのだそうだ。
また、自分が手を差し伸べて欲しいから。
私も助けて欲しいという気持ちの現われなんだ。
確かに、現在の混乱の状況の中、どうしたらいいのかわからなくなってきているからね。助けて欲しいと言う気持ちが自分の奥にあるかもしれないと自覚した。
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