壊れる理由
昨日転んでしまって、頭は打たなかったし、手や足の骨には異常なしだけど、左手に擦り傷。
家の救急箱に消毒薬がなかったので、急いで薬局に走って行かなければならなかった。
もしかしたら、地面でコロナがうずうずしてて、待ってましたって言ったかもしれないという想像をしてしまったからね。
だけど、前日に雨が降ったから、道路は少しはきれいだろう(そうであって欲しい)し、数年前に破傷風の予防接種をしてたので大丈夫だと気持ちを落ち着かせた。
つんのめってしまっても転ばなかったことが何回もあって、運動神経がいいからだと、なんだか変な満足感を感じていた。
こんな転倒は久しぶりだ・・・久しぶりだなんて言ってて、これは繰り返したくない。
まったく、おっちょこちょいで困ってしまう。
家系がそうなので仕方ないか。
ちょうど母と電話で話していたので、足元に不注意になってたことを反省した。
みなさんは、私のようにドジではないと思うけれど、道で歩きながら、話す時には十分気をつけよう!
それにしても、手の消毒は痛くて、目から火花が散った。
小学生の時に保健室の先生に傷の手当をしてもらった時と同じ痛さを思い出してしまったよ。笑
痛くて、石鹸をちょっとつけて、適当に水で洗って、薬局で購入した液体を何回かつけて、おしまい!
今日も、ちょっと痛い・・・ちょっとだけね。すぐ治るでしょ。
でも、私の携帯の画面にひびが入ってしまって、もう完全に動かなくなってしまった。
半年前に買ったばかりだというのに・・
落とすなんてことは今までなかったので、保険には入ってない。
修理に出すか、新しいのを買うか考え中。
こちらで、何かを直す = 壊れて戻ってくる
ということが多い。全部が全部と言うわけではなく、もしかしたら、ただ単に、私が修理するということに、ついてないのかもしれない。
以前もiPadの画面に少しひびが入ってしまって、直してもらったはずが、使えなくなったことがある。
Appleに修理を出さなかったからだと言われて、確かにそうだと思った。
その時は、安く修理してくれるという店を見つけて頼んだという「みみっちい私」であったことに気づかされた。
でも、良いことに、私は物持ちの名人(あ~断捨離をしなくては・・)で、昔使ってた携帯が使えそうなので、いつまで使えるかはわからないけど、復活させて、使うことにする。
問題は、バッテリーがすぐなくなるので、いつもコードでつなげていなければならない。これは外出向きではない。
だけど、しばらく使ってみて、直すか買うかどうか考える。
私は物を大切にするので、本当は直したいけれど、今までの経験より、今回は買うことになりそうだ。
それにあと何日かで夏のバーゲンも始まるしね。
直す気持ち10% 買う気持ち90%
もともと物が壊れることは好きではないから、こんなことがあると、私に何かを気づかせようとして起こるのではないかといつも考えてしまう。
でも、明白なのは注意散漫だった。それで転んだ。それだけ?
どうもこれには潜在的な理由が関係しているようだ。
コロンビア大学ビジネススクールのマーケティング助教授であるシルビア・ベレッツァ氏によると、
「消費者は、新しいモデルがもうすぐ登場したり、すでに市場に出回っていたりすると、私たちは無意識のうちに持っている携帯電話に対して粗末な扱いをしてしまう。
私たちが何か新しいものを買うときは、頭の中に「例えば2年間はそれにしがみついていよう」という心の口座を開いているようなものだという。今持っている製品が十分に機能しているにもかかわらず、新しいバージョンを買いたいという衝動に駆られると、人は罪悪感を覚える。しかし、失ったり、壊したりすることで、罪悪感を感じずに新しい製品を購入することができると考える。」
よ~く考えてみた。
私の場合、この携帯に買い換えて、Motoloraの新しいバージョンなのに、前の方が良かった。前と同じ機能がついてないと不満に思っていたことが何回かあったということを思い出した。
新しいのを買いたかったんだ。
買うとなると、また、出費が重なるよ~。
けれど、それよりも・・・・
ごめんね、私のMotolora。
参照
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