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『日刊 イ・スラ 私たちのあいだの話』

7月に家から、車で20分の1番近くにあった本屋が閉店してしまったので、"本を選ぶ"という行為が、楽しみに出来なくなってしまった。
ジャケ買いならぬ、装丁買いの楽しみが、遠い、贅沢なものになってしまったような気がした。

イ・スラを手に取ったのは、その本屋が、閉店になるという少し前。住んでいる地域に、本屋を見つけて嬉しくなり、かなりの頻度で通っている中で、見つけた。
ウーマンリブやら、フェミニズムやらという中ではなく、韓国文学というくくりの中で置いてあった。

エッセイのようなものは、あまり好んで読む気には、なってこなかった。
自身の想像力や、自分の事でなく、他人のアレコレをネタにして書かれた"エッセイ"というものへの嫌悪感のようなものがあったから。
しかし、この本は、世界や他人のことでなく、自分のことが、よく描かれていた。

私は、どう感じ、どう思ったか。私はどう思っているか。それが、日々の中での様子と、過去が混ざりながら、過ぎていく。

イ・スラの言葉は、私と共通する所がたくさんあった。言語の違いがあるので、これは翻訳家の方との共通点なのかもしれないが、なにより、物事への向き合い方、他人の発する言葉の捉え方、感じ方、自分が発する言葉の使い方。まるで私自身が書いたかのような部分がたくさんあった。"代弁"という強い言葉ではなく、私が描いたかのような。肌に心に馴染む言葉で書かれていた。

寝ている時以外、全ての時間、頭が動いていて、常に何かについて興味を持ち、感じ、考え、思い出し、発する。この繰り返しをしてしまっている私にも、イ・スラと似たような部分があるのかもしれない。


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