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火はどこへ行ったのか。
火で調理をし、明かりや暖をとる。
太古の昔から、火は、生きていくために欠かせないものだった。
人は、火の周りに集まって食事をした。
フォーカス(中心)という言葉のもともとの意味は「炉」であるとおり、
暮らしの真ん中には、囲炉裏があった。
ところが、科学技術の進歩が暮らしの中の火を見えないものにして、
自然の火を見るのは、非日常のことになった。
「炎上」という言葉がネット用語として存在するように、大きく乖離した場所で頻繁に使われるようにもなった。
人だけが、火を支配することを学んだ。
しかし火は本来、人が抑制することのできないものである。火という自然の力は、人という存在の虚無性を映し出すものでもあったはずである。
火はどこへ行ったのか。
原子爆弾や原子力発電といった、ごくわずかな研究者にしか手の届かない世界に行ってはいないか。
闇を照らす照明によって輝く星空を失ってしまったように、火を中心に家族や社会を形成してきた精神性を忘れた代償が、どこかにないだろうか。
「火のないところに煙(=うわさ)は立たぬ」という諺がある。
この火とは、根拠であり、事実である。
つまり、おそらく火は、私たちの根源に存在するのだ。
2018年10月に、ジュエリーブランド「SIRI SIRI」のWebマガジンに掲載。連載「The root.」では、普段は無意識の中にあるような事象を取り出し、深く観察することで生まれる感覚の言語化を試みた。