☆神さまどうか、子供のそばでわたしをお役立てください☆
小学校の先生をやめて、どうしてもやりたかったことがあった。
ありがたいことに“その夢”を実現できたのに、
今月で“その夢”に一区切りをつけることにしたのは、このわたし。
どうしてもやりたかったこと↓
sadoベリースクールStars休校
https://note.com/erikokitazawa/n/n1b4d52df5353
どんな子供たちも
伸び伸びと遊んで学べる場をつくりたい。
それぞれ持って生まれた才能や可能性という光を
押さえられることなく、遮られることなく、
常識やルールや評価なんて取っ払って、
共存、共創していられるような空間をつくりたい。
その想いは変わるどころか、
ますます強まるばかり。
むしろ、危機感や必要感は以前よりぐっと強く、
学べば学ぶほど確信に変わる。
じゃ、なんでフリースクールをやめるのかって?
ごもっとも!
要は、わたし自身が子供たち以上に
自由が不可欠になってしまったからに他ならない。
決まった曜日、決まった時間に
フリースクールに向かうというサイクルが
どうにもこうにもしんどくなってしまったのだ。
でも、やりたいんですよ。
子供たちのそばにいたいんですよ。
1. 超大手学習塾の説明会に参加してみた話
だから、超大手学習塾の説明会にも参加しちゃう始末。
週2日の開校でいい。
生徒さんの募集も最初の2年は強力サポート。
家庭を大事にした働き方が可能。
そんな言葉に誘われて。
というか、救いの道を求めて?
いそいそと説明会に参ったわけですよ。笑
でも、やっぱりダメだった。
子供と関われる、
超大手有名どころだから保護者の方への信頼もある、
テレビCMもガンガン流しているから宣伝効果も抜群、
固定収入が得られる、
無理なく継続できるサポートがある。
惹かれる要素はたくさんありましたよ。
ありすぎるくらいありましたよ。
けれど、同時にある一定の条件や決まりに縛られ、
従わなければならないものの下に
入ることになる…。
週2日のフリースクールを続けられない女が
続けられる自信が全くない。
これだったら、
親御さんも安心して子供を預けてくれるかもしれないのに。
子供たちと関われる環境がつくれるかもしれないのに。
悔しい。
2.譲れないもの
超大手学習塾にしては、
かなり自由なカリキュラム&スタイル。
やってみたら意外と面白いかもしれない。
楽しくなるのかもしれない。
でも…
でもでも…
わたしがしたいのは、
勉強を教えることではなく、
勉強をさせることではない。
結果、教えてほしいと言われれば教えられるものは
喜んで教えてあげたいと思うけれど、
“教える”ありきの関係性ではないのだ。
それよりも、
その子のやる気スイッチや
才能スイッチ、自信スイッチを入れてあげたい。
そうすりゃ、勉強なんて
「しなさい」なんて言わなくても
好奇心の塊の彼らは
「やめろ」と言っても勉強するだろう。
自分の中にある譲れないもの。
これがどうにも頑固でかなわない…。
3.知れば知るほど見えてくる危機感と表には出てこない真実
いろんなところで学べば学ぶほど、
なぜ今この教育になってしまっているのか
日本の今の教育は誰のどんな意図でつくられたものなのか
いじめ、不登校、学級崩壊、精神疾患…。
どうしてこんなにも教育問題がそこら中で勃発する事態になっているのか
が見えてくる。
けっして、表には出てこない真実。
日本では、幼稚園の受験に始まり、
習い事、学習塾、通信教育と
「教育」というものが完全に“ビジネス”市場と
なってしまっていて、
本来、子供の発達ステージを考えて
絶対にしちゃいけないことを
メディアはさも“必要なこと”であるかのように誘導し続け、
親御さんたちは、“子供のためなら”
とそこにせっせこ頑張って働いたお金を支払う仕組み
が成立してしまっている国。
これって、世界のスタンダードではないよ。
むしろ、おかしいんですよ。
疑問を持つべきところなんですよ。
たとえばね、
まだ日本語もままならないような赤ちゃんに
英語に触れさせる、学ばせるなんて
絶対にやっちゃいけないことだけど、
「小さい頃から英語に触れると耳が育つ」
「英語を自然に無理なく身につけられる」
なんて巧みな誘導にのってしまって、
英語スクールに通わせたり、
高いCDなんかが付いた教材を買ったりしてしまってないかな?
子供の脳の発達段階を考えたら、
少なくても10歳までは自然の音や
日本語の音をたくさん聞かせてあげた方が
脳はぐんぐん活性化する。
要は、誰かが作った高い英語CDを買って聞かすより、
いっぱいいっぱい日本語でコミュニケーションを取ってあげたり、
自然の中にどんどん連れ出してあげた方が100倍いい!
これって、実はお金は1円もかけないでできちゃうこと。
あぁ、こういう世界を伝えたい。
4.ほんとうの価値ある教育とは?
「何かを教えてくれる」「何かを身につけることができる」
という教育や習い事には“価値がつき”、
そこに対価として授業料や月謝が支払われる。
でも、本当に“価値あること”は
「すでにあるものを引き出すこと」
「要らないものを身につけさせないこと」。
「足す」ではなく「引く」。
これからの時代は特に、
こういった教育を受けた子供たちの才能が
爆発的に伸びていく。
これまでの「常識」や「正しさ」を
教えれば教えるほど、
子供たちは窮屈になって、
身動き取れなくなって、
可能性も才能も生きる気力さえ閉ざしてしまう。
でも、引き算の教育に価値を持ってくれる人は
まだまだ少ない…。
共感してくださる誰か。
わたしを雇ってくれないかしら?笑
ここまで読んでくれた方は、
「偉そうに知ったようなことを書いてるけど、
君はどんな“たいそうな教育”をするのかね?」
と思ってる人もいるかもしれない。
ここらで、わたしの“たいそうすぎる教育”を
披露させていただくとしたら、
それは…
“何もしない”教育
に他ならないわけでございます。
誤解のないよう補足を加えさせてもらうと、
目に見えるようなアプローチの教育はあまりしない
というもの。
さらに踏み込んで説明させてもらうと、
ただ「子供を信じる」
ただ「子供と対話する(しつもんする)」
ただ「子供を受け止める」
こんな感じ。
教えることもしなければ、
無駄に関わることもしない。
けれど、その分ジャッジもしない。
あぁ神さま。
これが本当に価値ある教育と言えるのならば、
どうかわたしを子供たちのそばで
佐渡のために、日本のために、未来のために
お役立てくださいませませ。
それが、えりこの心からの願いでございます。
おまけ
最後に、フリースクールの元祖といわれるニイルの言葉を拝借。
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すべての子供は、自分自身の中に神を持っている。
自我が満たされた自由な子供はその神を発揮する。
善悪や正邪の価値観を与え、子供を型にはめようとすると、
その内にある神を悪魔に変えてしまう。
つまり、法律や規則でしばり、道徳で抑え込もうとするから、
罪を作り、反逆者を作り出すのだ。
ニイル
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ほんとうにこの通りだと思う。
昔では考えられないような凶悪な犯罪やニュースが
今では“普通”になってしまいそうな現代だけれど、
子供たちを神ではなく、悪魔にしてしまったのは
大人の責任ではないだろうか?
わたしたち大人が子供たちにしてあげられることは、
ルールやきまりを増やしたり、作った枠にはめたりすることではなく、
安心する環境を作ってあげること、信じてあげることなんじゃないだろうか。
近々、子育て&教育お悩みお茶会を
やりたいなぁと思っています。
(共感してくれる方が1人でもいたら、やります!!)
もし興味ある方いましたら、↓LINE@の方から
メッセージください^^
(詳細、決まり次第ご連絡します)
北澤英理子(えりちゃん)LINE@
https://line.me/R/ti/p/%40ygb6314t