エッセイ『行事食の呪縛』

今日は節分だけど、実は行事食があまり好きではない。
料理家のくせに何を言ってるねん、と怒られそうだが、ずっと小さな抵抗感がある。
作ってる人は偉いと思うし、出てきたらありがたくいただくし、そういう人がいい家庭を作り、いい社会を作るんだと思う。歳時記自体には興味があるし、年中行事は日本に残すべきだとも思う。ほんまに思ってます。

おせちは年末何日もかけて作りあげていく高揚感が好きだし、ひなまつりのちらし寿司くらいはまあ作ろうかって気になるけど、クリスマスのチキンやケーキも端午の節句のちまきもなかなか腰が上がらない。作らずに買うのもそんなに気分が上がらない。
七夕のそうめんとか湯がくだけなのに「まじか」と思う。でも、星は見上げて「今年は会えますように」と織姫と彦星の幸せは祈る。

いい年にしたい願いは半端なくあるし、無病息災を祈る気持ちもすごく強いから、恵方巻は食べる。今年はいつもに増して叫ぶべきだろう。
黙ってその年の方角を凝視して食べる。これはなんだかんだと毎年欠かしてない。この黙って食べるっていうのはここ最近の慣わしだっていう説もあるけど、少なくとも私が子供のころからしてることなので、これはやる。それに割と巻き寿司好き。普段からスーパーで助六寿司、結構買う。
でも神様が聞いてないとして本当のこと言っていいなら、やっぱりちょっとめんどくさい。
ちなみに豆まきは大好きで、心を込めてまきまくる。お正月が終わったくらいに並び始めた頃に豆は買って用意している。

一般的な行事食作るのは実はそんなにむずかしいものではなく(一応料理家やしね)、好きな串カツや餃子、何時間の煮て作る特製カレー、毎日かき混ぜるぬか漬けの方がずっと手がかかるけど、これは全く苦ではない。
いなり寿司も作るし、韓国風海苔巻的なものも作る。

たぶん私は行事に縛られ、その日は食べたいものも食べられない、「決められるといやになる」ってタイプなんだと思う。要は束縛されたくない女なんやな。いや、天の邪鬼なんだろう。それに加えてなかなかのめんどくさがりだ。

ここのところ、日本ではクリスマスやバレンタインに事足りず、誰が仕掛けたのかハロウィン、更にはうさぎや卵やらが登場するイースターまで仲間入りした。
もう、イベントだらけで忙しすぎへんか?何祝っているのかわからん!!卵っていつも食べてるやん!かぼちゃは煮ものが一番やん!って心で思ってしまうわけです。かぼちゃのプリンもパイも普段食べたらおいしい。どうも、行事合わせて食べたくないんだな。素直になれない女です。

世の中の人ってどうなんだろう。
昔からある行事は許す派。クリスマスはOKやけどハロウィン拒否派。
絶対いるよね、私以外に。

ところで節分ていうのは1年の区切りでとても大事ならしく、私もあやかりたいという下心は捨てきれず、やっぱりいわしは焼かなくとも恵方巻だけでも用意しようかと思う。
2月2日の節分は124年ぶりらしい。そう思うとやっぱり今年の方角を確認し、南南東を向いて食べるのだろう。

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