ウズベキスタン出張日記 後編
前編に続き、ウズベキスタン出張で体験したこと、感じたことを書いていきます。
前編はこちらから。
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地方行政機関の皆さんに講演会を行ったり、バッグの工房で職人さんとデザイナーのセッションを通して国境を超えて「作ること」が共通の喜びなんだと感じたり、少しずつウズベキスタンのことを知ることができた。
それから、滞在中にとびきり感激したものづくりは、「シルクの絨毯」だった。
「機械で紡績されたシルク」を「化学染料」で染め上げ、「手織り」しているという組み合わせだ。
前二つの特徴により、それは繊細であり、且つ鮮やかだ。
アートとも言えるその迫力は、ウズベキスタンの職人さんの忍耐力や、正確さ、計画性という素晴らしいキャラクターにより実現されていることがわかった。
このことについても移動しながらずっと考えていた。
ウズベキスタンの人たちは、何をするにもとても「Planning―計画」を前もってしている人たちだと感じた。
そしてそれをグループで対等に議論しながら行うスタンスが、非常に個性的だなと思った。
レストランに行く、次の行動はどうする、そうした一つ一つの意思決定に対してみんなが集合して、話し合い、丁寧に決めるのだ。
誰も取り残さないように。
こうした考えは、旧ソ連の体制やウズベキスタンの国の教えが深く関わっているということを、今回、出張の企画をアレンジしてくださった東大の樋渡先生が丁寧に教えてくれた。
私はまだまだ歴史的知見が足りないので、その部分については勉強したいなあと思った。
しかし、「プランニングを先にしっかり行い、ものづくりをする」というスタンスはものづくりにおいて、良い部分もあるし、悪い部分もあるなと思った。
木彫や絨毯、リシタンの陶器、全てにおいて、図柄を見ながらの制作が多く見受けられた。
図柄の数は膨大である。
しかし、図柄の細部のモチーフは非常に限定されたものを応用しているように思えた。根本的な素材自体のバリエーションは一つで、実験の幅が極端に少ない。
ディテールの技は素晴らしいものがあるがそれは反復する鍛錬を感じる職人芸であり、情緒に届くものとは違う。
ものづくりのど真ん中にすっぽりと穴が空いているようにも感じた。
あくまで出張で感じたことだけど、私はそれが、0から1を作るクリエイティブの概念がまだ根っこを張っていないのでは?と思った。
バッグ工房でみんなと議論している時に、「作りたいもののコンセプトやイメージはある?」と聞いた時、ポカンとしてしまう瞬間があった。
「どんな色がみんなの代表カラーだと思う?」という問いに対しても、いきなり無口になってしまう瞬間も印象的だった。
タシケントの街を歩いていると、たくさんの民芸品や、ブランドのお店も多くある。
品質は申し分ないと感じる。しかし、デザインにおいては同質化してしまっていて、個性や独創性を感じるお店が非常に少なかったのは、インドやバングラとの相違点だと思う。
また、女性との会話では「女性らしさ、男性らしさ」が非常に強く意識され、ある一定の枠内にちゃんと収まることが望まれるとも感じた。
「女性はだいたい小さいハンドバッグを持つものです。男性はネイビーやブラウンの服装が多いです」と通訳の方が教えてくれた。
前編での議員の方が「なぜ装飾をしないのか?」という問いかけも共通して、強い規範というか、理想の何かを生活のさまざまな要素や、態度の中で持っているのだと思った。
それはカオスの国、バングラデシュから来た私には衝撃だった。そしてその美学は、伝統文様がちょうど4cmの四角いマスの中に収まるように丁寧に描かれているのと感覚的には同じで、文化と価値観がまさに一致している。
ただ、そのマスの外への逸脱がクリエイティブには大事なことではないだろうか。
ランチの時に、この件については今後のウズベキスタンのものづくりの課題かもしれないと、お話しさせてもらった。
計画性や規範の強固な土壌がありながら、創造性が掛け算されればきっと素晴らしいものづくりになるはずだと私は心底信じられた。
その為には、例外を許容するマインドセットや、逸脱に対して寛容になる、もっというと歓迎する気概さえも大事になる。
「集団で行動する、誰も取り残さない」という社会主義的なスタンスは、こうしたクリエイティブにとっては、時としては大きな阻害要因になってしまうかもしれない。
社会主義とクリエイティブの関連性について誰か論文を書いていないかな、、、と探っているのだが(笑。どなたかあったら教えてください)、少なくとも私自身は集団規範からの逸脱を小学校から今でもずっと感じながら生きてきて、今起業家とデザイナーという2軸の肩書きをもっている。
道がないところに道があると信じる心はデザインやクリエイションのみならず、これからの未来を担う人たちにきっと必要な心構えだと思う。
今回出会った人たちの1人でも、その源泉となるような炎が心に灯っていたらいいな、と思いながら、帰国しました。