意外な気付きと、世界は繋がっている?
「NORDSTROMの後は、Bergdorf Goodmanに行きましょう。」
最高ランクの百貨店だ。
ウィンドウも素晴らしかった。
世界観へのお金の掛け方が違うなと思ったし、とても独創的で遊び心がある。
一階に入ると、まずジュエリーがあった。
しかも日本のように1cmくらいのジュエリーではなく、大体30カラット以上で、大きさは5cmくらいはあるんじゃないかと思えるものばかり。
プライスの表示はない。
「美術館みたいだな」と思ったがこれは売り場だ。
奥に進むと、バッグ売り場があった。
ロエベ、The Row、バレンシアガなどが、1つのブランドで2、3型ディスプレイされていた。全て20cmくらいのショルダーかハンドバッグだった。
そういえば、こんなことも言われた。
「A4が入る大きなバッグを1つ置くくらいなら、小さなハンドバッグを2つ並べたい。効率的でしょう?なんて言っても、スペースがないのがニューヨークなんだから!」と。
「そりゃあそうだけどさあ、バッグ1個より2個の並べたほうがいいけどさあ、、、。」
ニューヨークに着いてからというもの、効率性という名前のハンマーでガツンガツンと頭を殴られるような気分になっていき、時差ボケと共に目の前に星が回っていた。
その次の日は、お洋服のバイヤーのJAMESと話をした。
最近立ち上げたインドの工房で生産している私自身の服のラインがあり、
ERIKO YAMAGUCHIのインスタを、あまり期待せずに共有だけした。
「これはReady-to-Wearのブランド。銀座に1店舗しかないんだけれど、私、デザイナーとしては主観をぶち込んでいる感じがして、楽しい。」と言い、カタログも見せた。
するとJAMESが「うん?」とインスタにかじりついた。
「どうしたの?」
「この店、僕行ったことあるよ。」
「え?東京にあるんだよ?」
「うん。東京に行った時に、この店に入ったんだ。素晴らしい世界観に惹かれたよ。それで、MATOUというコートを買ったんだ。すごく日本的だよね。素晴らしいよ。僕はこの店がとても気に入ったんだ。これ君の店なのか?!」
と興奮気味に言った。
“これ”と、私は店舗の写真にあるERIKO YAMAGUCHIの看板を指差して、自分の顔を指差して、笑った。
JAMESと私たちは静かな百貨店のカフェで仰け反りながら大笑いした。
(世界って狭いなあ。そして、やっぱり一等地に店があるのは売上だけじゃない、大きな意味があるんだ。)と強烈に実感した。
JAMESはその後、「変形のシルエットと素材、とっても覚えているよ。Ready-to-Wearは展開しないのか?」と聞いてきた。
「うーん、そうだねー。もちろん可能性があればって思ってはいるけど、ニューヨークの人たちは正直あんまり着ているイメージ持てないから・・・。」と、ボソボソと私が言っている間も、JAMESは自分が行ったブランドだったことに驚いている様子だった笑。
JAMESとの議論の後、私たちはしばらく街を歩いた。
とにかく、もう色々なものが違いすぎてマーチャンダイジングを全部変えなければならない。でも変更すべきポイントは理解できたし、その理解のスピードにも我ながら前より成長したなと思った。
夜はホテルに帰って、米国向けのMD戦略を作った。それを翌朝ELENAに提出した。
「これよこれよ!こんな風に作れるの?どういうこと?」とELENAは興奮して私に聞いてきた。
「私たちはね、自社工場を持っているの!だから作ろうと思えば何でも作れるの。」と伝えた。
彼女はディストリビューターという仕事をしてきたからなのか、「商品を変える」「色を変える」「新規で作る」という選択肢がない世界で、「ブランドが売りたいものをどう売るか」ということに専念してきたみたいだった。
私が「市場に合わせてこうやって作り替えた方がいい。」という提案を何度かしてきたけれど、「そういうのは理想よね。」と絵空事のようにいつも聞き流していたので、私は工場にLINEしてすぐに新規で作ってもらい、出張中に彼女に写真を見せた。
「私たちのブランドは工場と、このくらい一体で繋がっているんだよ。わかった?」と。
そんなこんなで、新しい国というのは最初に、誰と組むかが超重要だなあと思いながら、今のままでは単純に「物販」という形で終わってしまうとも思っていた。
大事なのは、物の背景に存在する作り手と、彼らの可能性を届けるという行為なのに。
私は短期間の出張で、こうした王道の戦略で戦いを挑むことに、違和感を強く抱き、「卸をして百貨店の平場に置いてもらうこと」は全くゴールではないと思った。
一方で、家賃の高い路面店を出して、実験をするのもアジアで十分だよ、という感覚も持っていた。
全然違う何か・・・・。
続く。