突破口はどこにでもある??
ある日、代官山蔦屋で遠い未来を考えながら日記を書いていた。
私の日記はランダムで、Wordファイルもきちんと保管されてなくて、「あれこれ」というタイトルの場合が多い。「あれこれ2」「あれこれ7」とかが散乱している状態だ。
でもこの整理されていない感覚が、自分としては心地よい。ゴールに向かうのではなく、ただただ浮かんできた発想を書けることがストレス発散になっているので、きちんと記録しておきたいわけじゃない。
その「あれこれ10」を書いていたとき、ふと思った。
「私がやりたいことは、途上国にも素敵な職人さんや素材があって、くだらないレッテルを壊すことだよなあ。だとしたらバングラデシュをZARAだと言ってきた欧米には、やっぱり挑戦したい。」
いつも思うことなんだが、この時は「今、動かなきゃ!」って思った。
それは40歳を超えたからだろうか。
そして、私は本屋さんにいたからなのか「あれ、まずは私の本を英語にしてみようかな」と思ったのだ。
といっても誰に聞いてもわからない。
シンガポールや香港にいるスタッフに、英語に翻訳して出版をするというルートがありそうかと聞いたが、そこまでいい感触は得られなかった。
「翻訳するなら、最高の人がいいな。」
コーヒーを飲みながらふと思った。
「こんまりさんの本って、誰が訳したんだろうか?」
調べると“Cathy Hirano”と書いてある。
「ときめく」という言葉を「Spark Joy」と訳した貢献は、この本の出版部数に少なからず影響しているだろうと思っていた。
そして、私は米国と強い関係がある友人に突然電話をかけて、話を聞いた。
米国の出版業界の複雑なプロセス、翻訳家と著者、代理人との関係性などを諸々教えてもらった。
「Cathyさんという方をご存知ですか?」と聞いたら、
「直接は知らないが、友人が知っているかもしれない。」と返事がきた。
「連絡したいので、その方の連絡先を教えてください。」と伝え、私は友人の友人さんに目的を話した。
すると「Cathyさんは友人です。ただ、もう何年も前に仕事をしただけなので、このアドレスが使われているかはわからない。」と言いながら、Cathyさんが昔使っていたアドレスを教えてくれた。
ダメもとだ。
私は、とにかくそのアドレスに連絡をしてみた。
返事がこないこと数日。
「やっぱりだめかあ。」
携帯でラジオを聴きながら夕飯の支度をしている時だった。
通知音が鳴った。
「Cathy Hirano」という名前が見えて、思わず心臓が高鳴った。
「あなたの本を読んでいないのでなんとも言えませんが、東京に行く予定があります。新幹線に乗るまでの数十分ですが、そこで話を聞くことはできます。」と返事がきたのだった。
「えええ!!!」
「10分でも5分でもいいので会ってください!!」
と私は熱烈なリクエストをして、会える日を数えるように待ち望んだ。
そして当日。
つづく。