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雪山での学びとゲームで気づく大切なもの。
昨日、家族でスノーボードに出かけた。
前日の雪かきの疲労を引きずっていた私は朝からぐったり疲れていたが、夫は決めたら絶対に行く人。わかっているから余計なことは何も言わずに淡々と準備を進めた。自分へのエールに甘いバナナを頬張り、エネルギーをチャージする。さぁ、みんなで雪山へ出発だ!
今シーズン初に選んだのは、自宅から1時間ちょっとの山。こどもたちは次第にテンションが上がり「まだ?」「あと何分?」「もう着く?」と夫に質問を繰り返す。私はいつも冷えている足が車内の下の方から出る温風に温められ、助手席で1人密かに足湯気分を堪能していた。「このまま冬景色を見ながらドライブして、そのまま帰ってもいいかもよ」と、心の中でつぶやいていたことは誰も知らない。
あっという間に到着した雪山は、私を疲れさせた昨日の積雪のせいか、かなり良い感じに雪がモリモリしていた。気温は高めなのにパウダースノーに近い感触が期待できそうで、私のテンションも自然と上がる。
さっきまでの疲れも吹き飛んで、さぁ、今から滑るぞ!とリフトに座ろうとしたとき、左のふくらはぎを思いっきりリフトにぶつけた。かなり痛かったがそこは大人、グッとこらえてリフトから落ちないようにしっかりとバーにつかまった。隣に座っていた娘は「このリフト、乗るとき脚伸ばさないとぶつけるよね」と、ひどく冷静だ。
そうだった。座った瞬間に足を伸ばさないと地面とリフトの間に脚が挟まる場合があるのだ。去年も1度痛い目をみていたのにすっかり忘れていた。私はきっとこれから滑るパウダースノーにウキウキしていたのだ。
「調子に乗ると足元をすくわれる」
ということのないよう、日頃からちょっとしたことでも意識して気をつけるようにしている。懐かしの『いいとも!』最後の火曜放送で、タモリさんも同様のことを言っていたらしい。
私には若いころ、船の上で調子に乗っていたら腰の骨を圧迫骨折したという痛ましい過去がある。それ以来、何事にもかなり気をつけて生きているのだ。なのでパウダースノーくらいで調子に乗っていたわけではないのだが、ウキウキしてる場合も気をつけなければいけない、ということを学んだ。学びは大事だ。今後に活かそうじゃないか。
余談だが、雪山ではSMAPの世界に一つだけの花が流れていた。
この数日、頭の中が散らかっていた。やりたいことが多すぎて、でもやるべきことに翻弄されてなかなか思うように進まない。あー、今日もあんまり進展してないな……と思っているところに、雪かきが追加され、疲れが蓄積し、あっという間に家族のいる週末がやってくる。家事も食事も何もかも適当に済ませてやりたいことに没頭する、なんてことはなかなかできないのが週末だ。だったら逆に、やりたいことをちょっとの間封印して、散らかった頭を整理してみよう、と思った。
雪山ではこども達が初滑りを楽しんでいる笑顔とその上達ぶりを見ることができ、私はパウダーに近いスノーを満喫。雪かきで見る雪とは違う白銀の世界は美しい。同じ雪なのにその時の心持ちやシチュエーションで雪の見え方が変わってくる。雪に限らず何でもそうなのかもしれない。
食堂のおじさんの、お客を急かすような威圧的な態度が少し気になったが、スムーズに仕事を進めたいだけなのだろうと思うことにした。だったら協力しますよ、という姿勢で食べたうどんの器をすぐに返却しに行く私。ごちそうさまでした!とおじさんに声をかけると、「それはそっちねー」。おじさんに笑顔はなかったが、まぁいいだろう。自分がちゃんと挨拶したことで気持ちはスッキリした。こういう場合、相手がどうかより自分がどうしたかを大事にしたい。
学びの多かった雪山でリフレッシュした帰り道、私はあっさりと睡魔に負けた。束の間の休息だ。帰宅後、持ち物の片付けをサッと終わらせすぐ夕食作りに取りかかった。
朝からパソコンも本も開かず、スマホは家族の写真を撮るときだけ触り、夜には家族全員でピコパーク2というゲームをした。これがまた簡単そうに見えて難しく、かなりチームワークが問われるゲームだった。一人でもミスをすると全員が振り出しに戻るという、何ともシュールな展開を幾度となく繰り返した。険悪な空気が私たち家族を包み込む。普段まったくゲームをしない私にでもできる単純な操作なので、私はとにかく楽しくてずっと笑っていた。失敗しても笑っていた。だが、みんなは徐々に笑わなくなっていった……。コントローラーをカチャカチャ動かす音とため息だけが響く夜。無事全面をクリアしたときには、深夜になっていた。クリアした達成感がないまま就寝しようとしたとき、下の娘が「明日はもうしたくない」と小さな声でつぶやいた。
そして迎えた今日。
リフトでぶつけたふくらはぎの痛みと、スノーボードでさらに増加した疲労と寝不足。それでも家事は私を休ませてくれない。家族は1人ずつゆっくり起きてくる。険悪な空気だった昨日の夜はいずこへ?と思うほど、普通の日常がはじまった。
午後になり、1日半ぶりにパソコンを開く。
勝手に整理されていることを期待した頭の中は、まだ散らかっていた。やはりそう上手くはいかないらしい。とりあえず一番やりたいことをやろう!と決め、今このnoteを書いている。まとまらない頭の中も、こうして文章にしていくと少しだけ整理された気がする。
あっちの部屋では、私以外の家族が昨日と違うゲームしている。「明日はもうしたくない」と言っていた娘も、キャーキャー楽しそうな声を上げている。今夜もピコパーク2の時間がやってきそうな予感が漂う。昨夜クリアしたのだが、ダークモードに切り替えるとまた1から別モードのゲームができるらしい。ダークモード。イヤな予感を生む言葉だ。ダークな夜にならないことを案じつつ、とりあえず夕食の準備に取りかかるとしよう。
ここまでを読み返してみると、あれやこれやと詰め込まれた文章で、頭の中の散らかり具合が自分でも見て取れる。あー、恥ずかしや、という思いはあるけれど、せっかく書いたnoteだから投稿しておくことにしよう。
結局大切なのは、完璧に整理することではなく、家族と一緒に笑い合いながら過ごす日常なのかもしれない。そんなことを学んだ週末の話。