彼が逝って3年目。あたしが生きてる理由。
あたしは、今日を生きてる。
今日感じたことも、肉体の疲れも、3年前にはもうすぐなくなるものだと思ってた。
あたしもすぐに後を追って逝くって決めてた。
なぜ、逝かなかったのか。
今思い返すと、まだ逝っちゃ駄目だってことだったんだろうな。。。
3月20日頃には呼び出しがあるだろうから、通知が来たら逝けるように、お世話になった人への手紙や形見を準備してた。
レキソタンとサイレースとコンサータを溜めて、服薬して吊るつもりでいた。
生理用オムツと、床が汚れないためのペットシーツや介護用シーツ、それからペット用のリードを買って、準備してた。
毎日真っ暗な部屋で、部屋の片付けも終わらないまま、死ぬことばっかり考えて、泣いて、昼夜もわからない日々を過ごしてた。
最期に、心療内科で薬貰うため、そしてお世話になりすぎた元彼に会うために、頑張って出掛けた3月のあたま。
なのに心療内科の帰りに、3度目の逮捕。
捕まってから、もう死にたくて死にたくて、取り調べ中にスニーカーの靴紐をこっそり抜いた。
なんとか吊るために。
膣の中に無理やり紐を隠して、留置場に行った。
留置場は同じ居室に他に3人の人がいて、すごく久しぶりに他人と話した。
やっぱり留置場は、もう死にたいって人が多いから、自殺防止対策がハンパない。
紐を掛けれる場所がことごとくなくて、タオルも持ち込めないから、毛布を被って自分で首を絞めるしかない。
でも、自分で絞めれる筈もなくて、引き回しの時にトイレに置いてあるカミソリで首を斬ろうと決めた。
なのに、それも対策されてて(死ぬ気なのがわかっちゃったのかもしれない)引き回しでトイレも行かせてもらえなかった。
そして、捕まった事件は不起訴になったものの、前科の件でそのまま拘置所→刑務所に行くことが決まった。
それから約2年。
もし、あそこで捕まらなかったら、あたしは間違いなく1人で逝ってた。
いま、咳止め依存からも脱出して、毎日朝から普通に働いて生きてる。
人付き合いも、めちゃめちゃしてる。
正直、充実した毎日を送ってて、思うこと。
嫌なことや情けないことがあっても、あたしは一回死んで生き直してるんだって思う。
時間は巻き戻せないし、事実は変わらないけど、
これから、は今から作れるんだって思う。
死んだら、嫌なことは全部なくなるし不安もなくなる。辛いことも終わる。
代わりに、今まで生きてたこともなくなる。
あたしは、正直明日死ねるなら死んでもいい。
誰にも迷惑かけずに、悲しい思いもさせずに、後悔とか悔しい思いをさせずに、死にたい。
でもそのためには、自死じゃ駄目なんだよね。
不慮の事故とか、病気とか、誰も不幸にならない死に方をしたい。
今生きてる理由は、親とか周りの人を悲しませないためなんだと思う。
誰かに、悲しんでもらえるような人生にしなくちゃいけないんだなって感じてる。