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愛情を受け取る練習中。

以前、人からの愛情をちゃんと受け取れるようになりたい、という記事を書いた。


で、今日の話なんですけど、鍵を忘れて家を出てしまい、締め出されました。あー、やっちゃった。
イギリスのお家ってオートロックなんだけど(日本のちゃんとしたマンションのそれではなくて、締まると鍵がかかるドアなの)、1~2年に1回やってしまうコレ。
因みに0歳の子供を家に残したまま締め出され、ドア越しに泣き声を聞きながら絶望したことが2回ある。笑

朝学校に出かけるってときに、子供が車で行きたいと泣き出し、説得出来たと思ったらお腹が空いたと言い出し、バナナをあげながら家の外に出たら雨が思ったより降ってたので一旦家にスクーターを置きに戻ったときに、うっかり鍵も置いてきてしまった。
朝から意味不明なワガママを言う子供のせいだと思ったけど、思い返してみればしっかり私のせい。

幸い大家にすぐ連絡が取れ、1時間くらいで行けそうとのこと。少し外で時間を潰してから家の前で待っていると、ナーサリーの同級生のママが通りかかった。

締め出されたことを話すと、寒いし家で待てば?と言われたんだけど、
既に大家が向かっていると連絡を貰っていたので、そう言ってお別れし、
その後すぐに鍵を開けて貰って家に帰ることが出来た。

やー、良かった。それにしてもその同級生のママが優しいんだわ。
でもなんか居心地悪い。

で、これって何なのかなと考えると、
自分みたいな無価値な人間が、人に優しくされる価値なんか無いって思ってるんだよね。


話が変わって少し前、子供と出かけた帰りに、
電車で一つ空いていた席に疲れてグダグダの子供を座らせたら、隣のお兄さんが私に席を譲ってくれたの。
咄嗟に大丈夫ですって言っちゃったんだけど、そのままどかれたので座らせてもらって、でもなんか申し訳ない気持ちになって、それについて考えてみた。

で、考えて
人からの親切って、哀れみや同情で施してもらうもんだと私は思ってんのかなって思ったのね。

思い返してみると、イギリスで誰かに席を譲って断られたことって無いんだけど、
日本でこれやると、だいたい大丈夫ですって断られる(あでも関西人は座ってくれるかな、笑。譲るつもりなのだから、座ってくれて全然いいのにね)。

なんか、母親なのに煌びやかな格好をしてはいけない、みたいな空気があるけど、
それはやっぱ、憐れまれるくらいボロボロになって頑張っているくらいの母親でないと、人からの愛という施しをうけてはいけないという想いが根底にあるんだと思う。

家族や、恋人とか関係性を約束した間柄ならいざ知らず、
他人からの愛情や親切心は哀れみや同情で施してもらうものである。
なので、同情されるに値しない自分が、愛情を受け取るなんてめっそうもない。何故なら、自分には愛される価値が無いから。
ってかんじ?

まあなんか、すごく大袈裟に言ってるけど、
根底はそういうこと。

慎ましさは美学なのかもしれないけど、そこまで行けば自己否定だよね。

大丈夫です、じゃなくて、ありがとうって言えるようになりたいなと思って。

それじゃあ、また。



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