大阪行った記録

滑稽大阪公演を観に行った直後に書いていた駄文があったので、備忘録としてここに残します。


むっちゃ迷ってたけど、大阪に滑稽観に来てよかった。

東京で、何でわざわざ「お笑い」というカルチャーが流行ってるのかとかもなんか考えられたし、いわゆる「お笑い」と笑いの違いというのか、違うとかじゃないけどそれぞれの言葉のスコープの違いとか、なんか思うところがあってよかった。

このライブの趣旨とは真逆の感想だけど、今の時代、「笑っていい」の空間って救いなんだろうなとか思った。いや、ちょっとホラーに晒されすぎて疲れてるだけかも。

あと、なんというか、この公演は特になのか、回を重ねるごとになのか、ホラーファンなのか、ほんとにお笑い観に行く習慣は無いお客さんも増えていったのかもなー、とか。

どこかで、舞台に立ってる芸人さんに対して、笑ってあげないとの気持ちがあったけど、いやそれも変だよなーって思うようになった。それが変だというか、抽象と具体のコントのそれじゃないけど、笑わせることが目的って、抽象やりたいと変わらんやんと。

何か伝えたいものがあって、それをユーモアを交えて伝えるってのが、筋とかでも無いけど、筋よね。

ラスト、終わり方がかなり変わったなと。
東京初日の間の違和感で伝えるのも一つだけど、笑いを浴びせるってことをハッキリやる演出も、そういう演出なんだ、と。

配信見て、最後の演出は映像が一番伝わるなって思った。

なんというか、全体的に、写真でトークが露骨だったというか、affirmationの教義を内面化した人のトーク、感が強かったというか。でも、今日のエピソードって既出エピソードで、ラジオで聴いたときに「恐ろしい」とか、そんなこと無理に笑いにしようとしないで、とか思わなかった、それが怖い。

わかりやすいって言葉が悪口として使われる風潮なんなのって思うけど。


無限まやかしという音声コンテンツで語られている滑稽感想が結構好きで何回か聴いています。端的にいうと、「滑稽は『お笑い』そのものに懐疑の目を向けたお笑いライブだった」みたいなことを話しています。

ヘンリー・ヒャッハーの帽子はどこだ?はむちゃくちゃポップだったけど、客席から上がる笑い声の音量が大きくなることや、笑い声が生まれる頻度が増えることだけを求めているわけではないように思って、確実に滑稽を経たからできたライブだなと感じました。

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