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心の居場所を求めて | 縁側の記憶

心穏やかに過ごしたい。

縁側に腰掛けて、庭をぼんやりと眺めながら麦茶を飲む。
小学生の頃、よく遊びに行った友人宅の縁側が大好きだった。

3才の頃から住んでいたマンションは、父の会社の借上住宅

「この家はいずれ出るんだから、傷をつけてはダメ」と
母親から都度言われていた私は、
父の転勤に伴い、実家を出るまでに3回転居することになる。

実家を出た後も様々な理由で住まいを変えてきた。

家族が増えたとき
自分の力で生きようとするとき
新たなパートナーと暮らすとき

閉鎖的な家庭の環境が影響したのかもしれないが、
『借り住まい』は子どもの心に刷り込まれ、
心の奥底ではいつも『自分の家』と思えることはなかった。


自分らしい暮らしを求めて

10年ほど前、同級生と久しぶりに会った。
「分譲マンションを買ったんだ」と話すと、同級生は言った。

「終の住処だね」と。

(本当に終の住処になるのだろうか?)

違和感にフタをしながら、うなずく。

分譲マンションは、最寄駅からターミナル駅まで約30分
徒歩1分のスーパーや広大な公園も近くにあり、便利な場所

(「終の住処」のつもりで選んだ場所なのに……)

同級生のたった一言で、腑に落ちない自分に気付いてしまう。

ある日「本当はもっと緑の多い場所に住みたいんだよね」とつぶやいた私に
夫が「いいよね」とひとこと返してくれた。
趣味の登山がきっかけで知り合った夫とは、このあたりの考え方が似ているのだ。

変わりゆく世界と自然への憧れ

感染症が世界的に拡大する世の中は、
私の生活も考え方も変えていく。

プライベートの移動は電車から車がメインになった。
週末に利用していたカーシェアは予約がとりにくくなり、
思い切って車を買うことにした。

心おきなく車が使える生活は大きな転換点だ。

とある週末、ドライブで立ち寄った道の駅で湧き水を持ち帰り
湧き水で入れたコーヒーを飲んだ。

「水道水とは違って、なんてまろやかなんだろう!」

いつもこのコーヒーを味わいたいと思った私たちは、
『自然が豊かで、おいしい水が飲めるエリアへ移住しよう』と計画し始めたのである。

ひらめきは突然に…

今の職場に通勤できるエリアへの移住であれば、
心理的なハードルも下がる。
働いていれば、住宅ローンも借りられるだろう。

世の中は、新築マンションの価格高騰している。
仕事柄、中古マンションのニーズが高まっているのを知っていた。

(今が移住のチャンスかもしれない!)

Google mapをスクロールしていると、気になるエリアを見つけた。
現在の職場にも通勤できて、高速道路へのアクセスも良い場所だ。

「ここどうかな?あの山の近くだよね?」と、夫に相談する。

「行ってみよう!」

週末、すぐに足を運んだ。

緑豊かなホームタウンへ

緑豊かな小高い山と川に囲まれたエリアは
空気がおいしい。

薪ストーブの煙突がちょこんと飛び出し、
庭には小さな畑がある家々に目が釘付けになった。

移住制度の「のぼり旗」がはためいている。

「ここ、なんかいい場所だね」

すぐに市役所で土地を見せてもらう約束をとり、
市役所のホームページに掲載されている工務店に連絡した。
「移住」に「家を建てる」という夢がプラスされた。

移住先近くの賃貸マンションの契約
新しい家の設計・相談
住んでいるマンションの売却

新しく買う土地の境界線トラブルに
工事の遅延……

様々なハプニングもあったが、仮住まいが1年も経過すれば家が完成する
と思うと乗り切れたのである。

「今週末も工事の状況を確認しにいこう!」

まるで子どもの成長を見守るような気持ちで完成を待っていた。

ついに、家が完成したとき
新たに住む街に対して「何かしたい」という気持ちが湧いてきた。

(このエリアをもっと知りたい)
(住む街がもっと活気付くために何かできないだろうか)

これまで10回以上転居してきた私は、
初めて自分が住む街に対して愛着がもてるように感じていた。

そんな矢先、思わぬ知らせが入る。

実家の父がステージ4のガンと診断されたのだ。

父と向き合う日々から得たもの

すでに父のガンは手術が出来ない状況だったが、
父は望みをかけて治療を希望し、私たち家族は父の意向を尊重した。

新居への引越し直後に父の治療入院が重なる。

長い間、父が見守っていた療養中の母は、これから私がサポートしなければいけない。

自宅から実家までは電車とバスで約3時間

朝、職場に出勤し午後から病院に行く日
早朝に実家へ行き、母とともに父のお見舞いへ。その後、出勤する日

近いとはいえない自宅・実家・職場・病院。それぞれのアクセスを
考えて対応するのに慣れずに苦戦した。

入院して約3ヶ月。治療に専念していた父は毎日のように
「家に帰りたい」と訴えるようになり、自宅で療養することが決まった。

実は、父が楽しみにしていたイベントが2つあったのだ。

一つは、ガンが見つかる直前に注文していた車の納車

父の趣味は、大好きなトヨタ車でドライブすること
結局、退院後に付き添いながら運転したのは近所のスーパーとガソリンスタンドまで

バックモニターがついているのにも関わらず、「後ろを向くと背中が痛い」と文句を言いながらも満足そうだった。

2つ目は、父の兄、私の叔父が札幌から父に会いに来ること

父より3歳上の叔父は元気な人で、子ども時代の写真とトランペットを届けてくれた。

学生時代に熱心に取り組んでいた錆びたトランペットを叔父から受け取ると、生き生きと昔語りをする父は病人とは思えないほどだった。

叔父が帰った次の日から、父は生気を失ったように眠るようになる。

目覚めても布団から起き上がるのが難しくなり、
一人でトイレにも行けない状態

ほどなくして父は「入院させてくれ」と訴えた。

人間らしく暮らせる場所だからこそ「我が家」と考えていた父らしい決断
だったと思う。

「人生は短かかった」

療養開始から約11ヶ月
76才で旅立った父のつぶやきを
一生忘れることはないだろう。

穏やかな暮らしから生まれるものは

心から好きだと思う場所に住んでいると
ささやかな日常が感謝で溢れている。

「おはようございまーす」
庭で草花の手入れをしているとき
自転車で通り過ぎてゆくヘルメットをかぶった中学生から
清々しい気持ちをもらう。

「おーい。これあげるよ」
お隣さんから植木をもらう。

「あそこのコーヒーおいしいですよ」
行きつけの美容師さんから情報をもらう。

「もらう」ばかりではなく
私から渡せるものはないだろうか?

(自分の経験が誰かの役に立てたら……)

山並みが見える縁側に座り、コーヒーを片手に次にやるべきことを考えていると、ふと、面倒見が良かった父の思い出が蘇ってきた。

札幌から上京した父のフロンティア精神は、私の中にも息づいている。

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