ガイドツアーはこれきりにする@Bazîd
昨日いろいろと連れて案内してくれたNurîが今日も案内してくれるという。
昨日疲れて行けなかった、ノアの方舟が漂着したと言われる場所。着いた途端に雨が降り出し濃霧に包まれ視界が遮られる。かわいらしい花が雨に濡れ風に震える様を眺め、ノアの方舟は諦めて下山する。
小さな村が点在するエリアに連れて行ってもらう。雨のせいであまり人が出歩いておらず、ふーん、という感じで終わる。
「今日も結婚式があるよ!」ということで、今日こそは参加させてもらうことにする。
夕方にまたNurîと再会し、会場へ向かう。早い時間帯にぽつぽつ集まってきた人たちが踊っている。弁当的なものがどんどん運ばれてきて、「食べて食べて」と私にも支給してくださったのでありがたくいただく。会場が屋外で、あやしい空模様。雨が降ったらパーティーは終了するのだそう。
Govend(クルドのダンス)もBazîd固有のダンスが見られたらと思っていたが、Delîloという一番基本的なものだけ延々とやっている。誰も楽しそうでないのが逆に印象的だった。「Dengbêjの歌を聴いたい」というリクエストへの応えがこのDawet(結婚式)だったのだが、Dengbêjがいないどころか、そもそも生音ではないし、極めて凡庸なパーティーだった。「どうだ、伝統的な結婚式だぜ!」とドヤ感をだされても。勝手に乗り込んで弁当までご馳走になってひどい言い草だとは思うけど。
早めにお暇してホテルへ連れ帰ってもらう。さすがに今日は、と思い、ガイド料を支払った。Nurîも私のテンションが下がりまくっていることには気づいたらしく、大人しく受け取る。
なんだろう。この2日間、イサクパシャ宮殿やEhemedê Xanî博物館など行きたかったところへ行けてとてもありがたかったのだが、総じてつまらなかった。
もし一人で行き当たりばったりで、ふわふわなんとなく行動していたらもう少しわくわくしたかも知れない。
職業的ガイドをされることが妙に居心地悪く、そうかガイドツアーが嫌いなのだ、とわかった。同じところへ行って同じものを見たとしても、友人がいろいろ連れ回してくれるのとは、感じ方が全く異なる。体験としてそれとこれとは別物だ。
車の中であまり好きなタイプではない歌謡曲が大音量で流れ続けていて、Nurîがご機嫌で、そのご機嫌さを共有しようとしてくる感じもしんどかった。サイレンスが欲しい。サイレンスの方が一億倍良い。
好きでもない人と、波長の合わない形で時間や空間を共有することは、違うチューニングなのか違うリズムなのかで無理矢理セッションしているようなものだ。そんなことは体によくないし擦り減るだけなのでやめた方がいい。
ホテルへ帰ってロビーでスタッフの人たちと話していて、やっとホッと一息できた気がした。昨日の少年がまたコーヒーを運んできてくれた。
明日は美味しい朝食をゆっくりいただいて、ゆっくり一人でぶらぶらして、イスタンブールへ帰る。