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長男がADHDと診断されまして

先生は日常生活における私への注意点を説明中、決して病名を言わなかった。
帰りのバス停でそっと診断書を開いた。
「あぁ、やっぱりそうだったのか」
長男12歳、ADHDだった。


つまづきだらけの小学6年生

私たちは2023年6月末に、それまで住んでいた山口県から大阪市へ転居しました。
転居の理由はさまざまありますが、長男の発達も理由の一つです。

山口県の小学校で受けた指摘

  • 机のまわりが散らかっている

  • 授業中にぼーっとしている

  • 授業に必要な備品がなくても何も言わずに平気でいる

  • 成績は可もなく不可もなく、特別理解が不足しているわけではない

  • ひとりでポツンといるけれどお友だちと遊ぶときもある

1年生から4年生までの指摘の内容が概ね上記のようでした。
「お母さんも家できちんと見てくださいね」
先生からのアドバイスで、宿題を確認したり、時間割を一緒にしたり、できなかったことを注意するよりも、できたことを褒めるように心がけました。

長男の他に3学年違いの次男もいます。
時はコロナ禍と重なり、学校の環境や私の仕事内容が変わってしまった点なども相まって、支援学級に入るなどの検討まで手がまわりませんでした。

私がきちんと見なかったから、見てさえすれば

長男は登校を嫌がる様子もなく、毎日学校へ行ってくれました。
お友だちもみんな好きといつも言ってました。
だから、ホッとしていたのもあるけれど私は違和感を感じてた。
サンプルが私しかいないけれど、長男と同じ年齢の頃は

  • 下校後はすぐに宿題をして、時間割を終わらせランドセルを玄関へ置く

  • 弟たちのお世話などを手伝う

  • 片付けは苦手だったけれど、学年が上がるにつれて物を減らすこと、置き場所を決めることなどのポイントをおさえていればできると気づく

こんな感じでした。
性差なのか、性格が違うのか、原因がわからない。
長男へ何度も「下校後に宿題をやろうね」「時間割をやろうね」「手紙や連絡帳を見せてね」と伝えても、定着しない。
言ったその日はできても、次の日はできない。
毎日のように長男へ言い、紙にも書き伝えても「分かった」と言ってすぐ行動しないし、ヘラヘラして暖簾に腕押し状態。

就学当初の
「こんなものなのかなあ?」
という思いは、いつしか
「こんなはず、ないよね??」
と変わり、私がきちんと長男の世話をしていないから、自らするように促していないから、足りないからこうなるんだと思ってました。
いつまでも、就学前の何もかも私と一緒に支度をする状況が変わらずつづいて、次男の就学もありめちゃくちゃ忙しかったです。

コロナ禍で窮屈な生活だから、家でゆっくりしたいのかなと考えを改めても、生活に必要な指示が定着しない一方で興味のあることは寝る間も惜しんでするなど、周りに迷惑をかけない程度の極端さはありました。

コロナウイルスに感染しないよう地域一体で団結していたから、私たちは幸いにも感染症に罹患せず元気で過ごせました。しかし、人の目が気になって市内から丸2年、息子たちを移動させずに生活していたあの窮屈さが忘れられず、さまざまな人がいる都会の方が暮らしやすく、性格の多様性も受け入れられるのかなとおもったのも大阪移住の一因です。

大阪での学校生活はじめは…

転入当初は緊張の連続登校だったが、宿泊学習があり、お友だちとも仲良くなって山口県に住んでいたころ同様、学校が楽しいと登校してくれました。
そのころ、どこで覚えたのか陽キャ・陰キャと言い始め
「僕は陽キャなんや」
とうれしそうに話してくれました。
人となりを陽・陰と区別するのはどうかな?と思ったものの、彼なりに苦労して楽しく過ごしているのかなと安堵しました。

6年生になり

6年生に進級してからは、修学旅行くらいまでは楽しく通っていたのですが、
しだいに学校が楽しくないと言い始めました。
次男も勉強が嫌やという理由で登校拒否しているのをこれ幸いとばかりに2人とも欠席をつづけるので、彼らの話を聞いたり、2人一緒に登校させたりしました。
長男は5年間、安定して登校していました。それなのに、なんで急に学校行かへんの?と彼のこころの内が理解できかねていました。

そのうち
「僕は陰キャだから(学校へ行っても行かなくても)誰も気づかへん」
「休み時間はポツンやねん」

と言うようになりました。

クラスのお友だちに原因があるのではなく、長男がクラスの輪の中に入れない、自宅でのオンラインゲームの際にお友だちに心無い言葉をかけてトラブルを起こしたなどが要因でした。
トラブルは学校で謝罪の機会を設けていただき、相手のお友だちは快く受け入れてくれたものの、欠席がつづき、宿題はしない、忘れ物が多い、授業中にボーッとする機会が増えるなど生活面の荒れ具合が増しました。

仕事と息子たちとの両立

ちょうどそのころ、私は仕事が増えて息子たちの様子を見たり一緒に学校の用意をしたりするのが疎かになったにも関わらず、まだ付きっきりで学校の用意などをしないといけないのかなと不満がたまってきました。
でけへんから仕方ないと分かっていても、もう6年生なんだから、中学生になるからと長男へ注意する回数が増えました。

長男はことばの引き出しが少なく、意見をすばやく言えないです。
6年生になっても嫌なことがあれば「やーだ」と言って拒否したり、尋ねた際の返答が「いいよ」でYesかNoか相手が判断できかねたりします。

でも、自宅では「ママに甘えたいんだ」と正直に伝えてくれて、彼自身が忘れたり失敗が多い分、周りのそれらにも寛容で「ママも忙しいから気にしない、気にしない」と声をかけてくれます。
優しいところはたくさん見つけている、知っている。

しかし、気力体力いっぱいいっぱいだった私は
・でけへんから仕方ない
・なんででけへんの
の思いが常に対立していて、息子たちに感情的に注意しないよう理性を抑えるので必死でした。

次回予告

そんな私に転機が訪れたのは、ある一枚の調査票でした。
次は、発達検査を受けるまでの話でも書きます。

さいごに

発達の診断を受けて、適切な生活を送る判断をするのはいつが適切なのかな?と思います。
長男も早くに診断を受けていたら違う人生があったのかなと、たらればを考えるときもありました。

しかし、各家庭で事情は異なるし診断を受けよう、相談してみようと思えたときが本人や周りにとって1番良い時期だと考えています。

大人になって生きづらさを感じ、診断を受ける人もいると聞きます。
いくつになっても、つらいと感じたら相談して診断を受けてみてはどうかなと思い、長男の成長記録として時々残していきます。

私たち家族を応援していただけるとうれしいです。
お読みいただきありがとうございます。


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