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所内勉強会、今回のテーマは性の多様性
2022年12月に改訂された生徒指導提要。
性の多様性については新たに章立てされました。
昨年度行った勉強会でも、
「性的マイノリティという呼び方すら、これでいいのか疑問」
という話に皆ハッとして、もっと学びたいという声が聞かれました。
そこで今年度は、当センターの養護の指導主事に講師をお願いし、所員みんなで学びました。
スライドの掲載許可もいただきましたので、中身についてはぜひスライドをお読みください。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/129939826/picture_pc_31336a78a9ab690d6598105e435745cd.png?width=1200)
まずはペア・グループでWarm-up
自分の属性を3つ書いてペア・グループでシェアしました。
![](https://assets.st-note.com/img/1707935396156-L5N2o9HxVl.jpg?width=1200)
このワークは、この後また使われることになります。
エピソードの紹介
![](https://assets.st-note.com/img/1707935408830-2JGTPLtgEM.jpg?width=1200)
教室であるあるな出来事ではないですか?
私も教育相談担当だった時、同じような相談が寄せられ、職員会議で(言いづらかったけど)啓蒙・注意喚起したことがあります。
動画を見て考える
![](https://assets.st-note.com/img/1707935820193-IGx8DdWlDA.jpg?width=1200)
3枚目「マジョリティがマイノリティに配慮する?」この考え方でいいの?という問いかけ
ここで最初のWarm -upで書いた3つの属性が登場しました。
書いた属性を下の〇〇に当てはめて読んでみましょう、と。
「〇〇の人への配慮」
「〇〇の方々への理解」
そう言われたらどんな気持ちになるか、話し合いました。
私なら「教育相談チームの人への配慮」「福島市民の方々への理解」
・・・う〜む、なんか、そう言われると自分は人より劣っているのか?配慮や理解が必要なほど人と違うのか?というような嫌な気持ちになる、と気づきがありました。
そして日常を振り返る
![](https://assets.st-note.com/img/1707935835525-5Xbyt9O3Mf.jpg?width=1200)
やはり、意識化できること、そして正しい知識が正しいスキルに繋がり、
私たちを救ってくれるのだと思いました。
「自分もこれまで、男の子なんだからとか女の子なんだからとか、子供達に言ってきてしまったなぁと反省すること多いです」
と振り返りを言葉にして発表してくださった先生もいました。
その先生に対して、講師の先生は
「今ご発言くださった先生方は、きっと多様な子どもたちに寄り添える方々だなぁと思いました」
と包み込むようなコメント。
恥ずかしいけど正直に発言して良かったと思わせる、その気づきが素敵なんだと理解できる、とても温かみのある言葉だと感じました。
最後のワーク
下のAとBの小学校保健の教科書、
どちらが旧版でどちらが新版か、話し合いました。こんなに表現変わっているんですね。ここはもっとこうしたらいいよね、などとクリティカルな意見も。
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いかに寄り添えるかがやはり大切ですね
性はグラデーションである。
それを表すかのようなこのスライド背景。
スライド背景にもメッセージを込める講師の先生、素敵ですよね。
こういう細やかなこだわり、大好きです。
性の多様性を皮切りに、「多様性を理解するとは」を所員全員で考える講座でした。
振り返りはPadletと終了後の対話で
Padlet、匿名で書き込めるので、みんな思っていることや感じたことを書きやすかったです。いろいろな考えが見えました。
「性はグラデーション」という考え方は、これまでマイノリティという自認はなくても、少し不安を抱えている人にとっても、救われる考え方だと思いました。 自分自身を振り返っても、これまで意図せず誰かを傷つけていることが多々あったと思います。今日勉強させていただいたことにより、「もしかしたらこの発言で傷つく人がいるかも」という視点をもてたことが大切だと思いました。同時に、教員にとって無知の怖さも改めて感じました。
性に関することに知れば知るほど、自分の言動に躊躇してしまうのではないかと感じました。うまく対応しようと気負うのではなく、全ての人を一人の人間として尊重することから始めたいと思いました。
気づかなければ気づかないまま過ぎていったかもしれない、あるいは人を傷つけていたかもしれない。今日は気づきというスタートに立ててよかったと思いました。これまでの日本文化も影響し、児童生徒の間では、多様性の理解≒他者への(過剰な)配慮、気を遣いすぎる関係性⇒「触らぬ神に祟りなし」「言わぬが花」という様子も見受けられます。本当の意味で多様性を理解しあった関係性がどのようにすれば築いていけるのか悩みながら学んでいこうと思いました。
一人の人間として、まずは自分がどういう人間で、 どういうアイデンティティをもっているのかをしっかり見つめることができていないと、形式だけの多様性の理解や行動になってしまうのだと思います。 子どもたちへ指導や先生方に研修を行う際も、自分自身のアイデンティティをしっかりと見つめ自覚した上で、 適切なふるまいや言動、判断を意識していきたいです。
教師としてというより人としてジェンダーバイアスもかかっていたし、マイクロアグレッションもめちゃくちゃしてきてたなと思いました・・・。自覚していないことが怖いなと感じました。これまでを反省しつつ、本日気付きを得られたことがありがたく、これからに生かしたいと思います。
勉強会終了後、近くの先生の
「多様性に配慮しすぎると、あれも言っちゃダメこれも言ったら危ないとなり、人と交わらないのが楽、とならないのか」
という発言から、5〜6人で対話が続きました。
今の子供達の「気を使いすぎる関係性」や「多様性の理解とタイパ」なんかが頭をよぎりました。
会終了後もこうして話し続ける姿、まさに対話的探究的な学びで、
学校現場でもこういう授業を展開していくことが大切だなぁと感じる豊かな時間でした。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました😊