見出し画像

運はコントロールできるもの?

そもそも、運って、どういうもののことなんだろう?

哲学的には、運とか偶然とか、違いがあるようですが。

まずは「運」を辞書で引いてみました。

1  人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する、人間の意志を超越したはたらき。天命。運命。「運が悪い」
2  よいめぐりあわせ。幸運。「運が向いてくる」「運がない」


皆さんは

これまでの人生で、一番運が良かったと思う出来事は何ですか?

私は、残念ながら、宝くじが当たった事もなければ、懸賞に当たったこともありません。。。

晴れ女というわけでもないし、四葉のクローバーもほとんど見つけたことがありません。。。


幼少期は

どちらかというと、自分の不運を恨んで育ったように思います。

どうしてこんな片田舎に生まれてしまったのか。

どうしてお金持ちの家に生まれなかったのか。

どうして背が高くスレンダーな両親の元に生まれなかったのか。

などなど……


でも小学生の時に読んだ漫画に書いてあったセリフ、

「運命は変えられる」

このセリフに、小学生ながら何か感じるところがあって、

ずっとそう言い聞かせ、信じてきたように思います。


画像1

そして、出会いで運命は変わった

運が悪いことを恨んで育ってきた私、

自分のことを今でも不運だと思っているかというと、

全くそうは思っていません。

出会いで、運が向いたと感じています。


大切な友達、先輩後輩、同僚や上司、同志の仲間達、すべての出会いがラッキーそのものです。

一番幸運なのは、

今自分が3人の子供たちの母になれているということ、

この子達が自分の子供であるということ。

それだけで本当にラッキー!

ということは、主人と出会えたことが何よりもラッキー!


月並みかもしれませんが、

運とは自分の意志の及ばない巡り合わせであるとするならば、

私の「出会い運」は最強だと胸を張って言えます。

きっと皆さんも同じように思っている方が多いのではないでしょうか。


出会いによって、小さな幸せや当たり前のようなことをも、運がいい!と感じられるセンサーを持てるようになったような気もします。


今をときめく大谷翔平選手のマンダラチャート

有名です。

高校時代、目標達成のために書いたものです。

画像2


そこには「ドラ1、8球団」という最上位の目標があり、その周りには、

「ドラ1、8球団」を達成するために必要なことが書いてあります。

その中に「運」もあります。

さらに、「運(をつかむ)」を達成するために必要なことがその周りに書いてあります。

何と書いてあるかというと、

「あいさつ、ゴミ拾い、部屋掃除、道具を大切に使う、審判さんへの態度、プラス思考、応援される人になる、本を読む」

です。

先に私は、当たり前のようなことをも運がいいと感じるセンサーを持つことが必要と書きましたが、大谷選手はそれを行動レベルにまで落とし込んでいることにはっとしました。

思っているだけではセンサーは身につかない、言うは易し行うは難しです。


「運は運を掴むために自らをコントロールする人のもとにしか来ない」

人生は実力だけで切り開けるものではなく、運に左右されることも多いものです。(以前「計画的偶発性理論」にも書きました。)


しかし、不運を嘆くのではなく、運をつかむ努力をしろ、というのが大谷選手の高校時代の恩師佐々木監督の教えだそうです。

佐々木監督は雑誌の取材に、

「運というのは、運をつかむために自らをコントロールしている人のもとにしか来ない」

と答えていて、大谷選手はこれを忠実に実践していることがわかるマンダラチャートです。


運とは、

人間の力の及ばないものなのか、

それともコントロールできるものなのか、

どちらを信じますか?

画像3


いいなと思ったら応援しよう!