あの日の猫の話2
猫がすき。私は犬より猫派で、いつか猫と暮らすのが夢だ。
現状は難しくて、私の住んでいるアパートはペット不可なので飼おうにも飼えないが、それでもある日、帰り道で放っておけない子猫がこっちを見ていたりしたらどうしようかといつもシュミレーションをしている。ちなみにそのシュミレーションの結果私はかなりの確率で子猫を家に連れ帰ってしまっている。
うちの近所には野良猫が何匹かいて、たまにウロウロしている姿を見かける。斜め向かいのお宅に、早朝に餌やりをしている女性がいるのを知っている。頭が下がる。というわけで、前々から知っているご近所野良猫のうち一匹が、最近ぼろぼろな姿になってきていた。
毛がボサボサで汚れており、体は痩せ、歩く姿にも力がない。もちろん野良猫だからというのを加味しても、私としては心配な様子だった。元気がない。何歳くらいなのかな。
以前は近寄るとすぐにぴゅっと逃げてしまっていたが、最近はある程度近付いても逃げない。ちなみに私は野良猫によく話しかけるので、脅かそうという気持ちはなくお話したくて近付いていってしまう。最近は反省をして、そっと遠くから見守っていた。
おそらく餌やりさんから餌はもらっているはずだが、それでも一日に何度もはもらえないだろう。痩せて元気がないその猫に、ある日私は食べ物をあげてみようかと思った。
野良猫に餌をあげてもよいのだろうか、正直分からない。地域の中には猫が嫌いな人もいて、その人からしたら野良猫に餌をあげるなんて!と怒られてしまうことなのかもしれない。しかし、そのやせ細った猫を見ると、どうしてもあげたくなってしまった。
コンビニで猫の餌を買う。ウェットフードの方が高級感があり猫が好きそうな印象があったので種類の違うものを2つ購入し、白い紙皿も買った。買ったからにはどうにかして食べてほしい。猫からしたら私は見知らぬ人だけど、餌をあげようとして迷惑がられるなんてことは、正直ないと思うから。
数日後、夕方帰宅すると、私の部屋のドアの少し先にその猫がいた。座ってこっちを見ていた。今しかない!ちょっとまってて!と声を掛けて家に入る。紙皿にウエットフードの中身を出し、ドアを開け外に出ると、猫はいなくなっていた。
どうしよう。お皿に出しちゃったから、食べなければ捨てるしかない(どう考えても私が食べるわけにはいかない)。私はそのまま紙皿を持って猫を探し始めた。まだ近くにはいるはずだ。車の下、塀と塀のすき間、茂みの中…。ふと冷静になると、すれ違う人々が私を怪しげな目で見ている。確かに、私は紙皿を持ってうろついている不審者だ。猫も見つからず、仕方なくあきらめて家に帰った。餌は捨てた。
餌やりがうまくいかなくて私には諦めの気持ちが芽生えていた。まだウエットフードは一袋あるが、それ以降猫の姿を見かけても、餌やりをトライしようという気持ちがなかなか起きなかった。
そんなある日、出かけようと家のドアを開けると、すぐそこに猫がいた。こっちを見ている。いける気がする、と思った私はそそくさと紙皿にウエットフードの中身を出す。再びドアを開けると、今日はちゃんといる。よかった。少し離れた所に紙皿を置いた。中の餌を見せて「食べて良いよ、食べなね」と伝え、そこから離れた。
十メートルくらい離れて一度振り返ると、猫が紙皿のフードを食べている後ろ姿が見える。よかった。美味しいと思ってくれているといいのだけど。安心して歩き出し、猫が見えなくなるぎりぎりのところで私はもう一度振り返った。猫は食べるのをやめて立ったままこちらを見ていた。
しばらく猫と見つめ合った。なぜだかわからないけど、私は再び猫と会話をすることになった。そして一言、「食べなね」と伝えて私はその場を去った。
用事を済ませて帰宅しようとすると、アパートの手前でこちらのアパートの方ですか?と呼び止められた。
前からこのあたりにいる野良猫が病気みたいで、今保護しようとしています。もう少しでケージに入りそうなので少し待ってもらえませんか?私と母は保護猫活動をしている者です。
ふと見てみると、私の家の扉の前にケージが置かれている。こちらからは中が見えない。これはユーチューブでよく見る、保護猫活動をしている人の動画に出てくる光景だ。この人たちがあの猫を助けようとしてくれている。
どれくらい時間がかかるのか分からないので、とりあえずもう一つ用事を済ませてきますと言いその場を離れようとした時、ガチャン、という音が響いた。ケージの扉が閉まった音だ。
すぐさまその保護猫活動をしているという女性たちがケージに布を掛け、お騒がせしました〜と言いながら車に運び込んでいった。
布を掛けられてしまったので猫の様子は見えなかった。
家に入ろうとすると、さっき私が置いた紙皿が目に入った。見るとウエットフードは半分くらい食べられていた。あんまり美味しくなかったのかな。ちょっと複雑な気持ちだった。
あの猫は助かった。それはとても嬉しいことで、私には到底できないことをやってくれている人たちがいることもありがたく思う。猛暑の夏も、冬の雪の日も、台風の日だって猫は外にいて、なんとか生きてきた。今日は保護されて不安かもしれないけど、これから病院に連れて行ってもらえるし、ご飯ももらえるし、体も洗ってもらえる。
それでも。
とてもとても寂しい気持ちだ。もうあの猫に会えない。毎日、あの猫は今頃どうしているかなと考えている。
私が飼ってあげたかった。できることなら私が。
私が振り返るとこっちをじっと見ていた猫。あれが最後に見た姿で、やっぱり私は猫と会話をしたんだと、そう思う。
あの時、直感でご飯をあげてよかった。最後にご飯をあげられてよかった。ずうっと後悔するところだった。
猫よ、どうか幸せになって。残りの猫生を幸せに生きて。いろいろな猫に出会うたびにそう思っている。