落ち込んではまた前を向く
数日前に書いた長女の校外学習についてのこと。
今週に入ってから珍しく夕方寝ていたり、妹に当たったり、らしくない行動が増えていた。イライラしていて、落ち着かない様子。
なんとなく、校外学習が不安なんだろうなと思っていた。
あさってに迫ってきて、改めてどうするかを聞くも「今のところは行く予定ではあるけど・・・」と。長女自身の中で葛藤しているのが伝わってくる。
夜になり、憂鬱そうな顔をして「やっぱり無理かも」と言いづらそうに言った。
私は「いいんじゃない?行けなくてもいいよ。」と伝えた。行こうと思っていた、だけどやっぱり無理な気がしてきた、そんな葛藤を繰り返している。
葛藤をたくさんたくさん繰り返して、「やっぱり無理」となる場面は多々ある。
それでも「行けるかも」と思っていたことに嘘はなく、チャレンジしようとしていたことは大きな成長である。トライ&エラーを繰り返して、それでもまた次に向かっていけばいい。
先週の様子から私も期待してしまっていたところはあるので、落ち込んでいないと言えば嘘になるが、そんなにダメージはない。
学校の話題を出すと泣いてしまうような時期があっただけに、オープンに娘と学校行事の話ができるのは大きな成長である。
ふと読んでいたブログに目を奪われた。
「ひきこもっている人はたまたま困難な状況にあるまともな人」
精神科医の斎藤環先生の言葉とのこと。
ひきこもりを不登校児に置き換えても同じことが言えると思う。
普通じゃない、まともじゃない、弱い、未熟、根性がない・・・不登校児たちに投げかけられる数々の言葉が視線。親である私でさえも、子どもたちのことで気分が落ち込むとひどい言葉や感情に支配される。
だけど、「ひきこもっている人はたまたま困難な状況にあるまともな人」
この言葉は当事者たちを見下すことなく、ともに歩こうというメッセージを感じる。
学校に行けなくても、学校行事に参加できなくても、それはたまたまそういう状況にあるだけで、娘がまともではないということではない。
このマインドは気づくと忘れていってしまう。とっても大事なことなのに。
落ち込み心をすり減らすこともあるけれど、また前を向いて歩んでいくしかない。
親子一緒に歩んでいく。