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大自然の中に身を置いて、何者でもなく、ただここにいる存在でいられる心地よさ

登山をして、自然の中に身を置き、ふと感じる。
町に出れば、日常を過ごしていれば、私には名前があり、職業があり、家がある。私、という人物がそこにいる。
でも、自然の中に身を置いていると、名前も年齢などの私に身につけた固定概念や鎧、所有していると思っている物なども、全てない、と感じる。私は何者でもない、ただそこにある存在、だと感じる。
何もなく、ただのそこにいる存在、として産まれてきて、いつの間にか、たくさんの固定概念を身につけて、所有して、重たくなって生きているということに気づく。いろんなものを自分で身につけて、苦しくなったりしているのかもしれない。苦しくしているのは自分自身な気がする。

名前も年齢も出身地も誕生日も職種も学歴も経験もすべて後付けされたもの。
私という人物、人間を説明するならば、どう説明するだろう。
性格も、私の捉え方や他者の捉え方によって違い、どれも正解もない。そう見えてる、そう捉えてる、ただそれだけ。
説明することは何もない気がした。

何者でもなくて、なにもない。ただここにいる存在。本質は形のないもの。私という言葉さえ、固定概念に思えてくる。
一生を生きても、私は、私というものを理解できないと思う。その一部を捕らえても、スルスルと抜けていく感覚。どんどん流れていく。

大自然の中、ふとすべてが外れて軽くなった。愛されたい、必要とされたい、が強くある私にとって、いつも変わらぬ深く大きな愛で包み込んでくれるのは大自然。だから、自然の中に入ると、気が軽くなったり、安心したり、癒されたりするのかもしれない。

何者でもない、ただここにいる存在。自然の中で、そういられることが物凄く心地よく、大自然の深くて大きい愛情に心あたたまった今日の登山だった。

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