【短編小説】数分遅れ ─森の騎士と嘆きの姫君─
遅かった。
あとほんの数分早く解放されていれば、間に合ったのに。
やつらのせいだ。
あれほど急ぐからと断ったのに「今日こそダンスをご一緒に」と、軍服の袖をつかんで離そうとはしなかった、あのうっとおしい女どものせいだ。
おびただしいろうそくが灯された廊下を抜け、大広間に駆け込んだハンスは、円を描くようにできた人垣をかき分け、その中心で踊り回る青いつむじ風をにらんだ。
忘れな草色のドレスをひるがえし、見覚えのない娘がステップを踏んでいる。その手を取っているのは紛れもなく、ハンスが忠誠を誓う──実際は忠誠を誓う価値があるかどうかはなはだ疑問だが──ヴァルトラント王国王太子・アルブレヒトだった。
──あンの、バカ王子! よくもやってくれたな!
ハンスは舌打ちをし、鳶色の髪をかきむしった。
──十二時から〝例の約束〟があるから、くれぐれもおとなしくしておけと、あれほど念押ししたのに。ったく、見境なしにもほどがあるだろう!
いらいらと爪を噛んでいると、「遅かったな、ハンス。またご婦人がたに捕まっていたんだろう」と、背後から声がかけられた。
「きみのダンス嫌い、女嫌いは筋金入りだな。タランテラならともかく、一曲くらいお相手さしあげればいいのに」
そう言いながら屈託なく笑う幼なじみに、ハンスはふんと鼻を鳴らした。
「勘違いするなよ、テオ。俺はダンスや女が苦手なんじゃない、糖蜜のパイみたいにベタベタうっとおしい女が嫌なだけだ。そんなことより、〝アレ〟はどこの誰なんだ。招待客名簿には載ってないぞ」
じろりとにらんでやると、テオは悪びれずに肩をすくめた。
「それが、気付いたときにはすでに踊っておられたんだ。てっきり〝例の姫君〟かと思ったんだけど、どうやら違うみたいだね」
「ったりまえだ! ありゃどう見たって別人じゃねえか。殿下の侍従だったら、未来の妃殿下の顔くらい覚えとけよ。肖像画が届いてただろうが」
「いやあ、肖像画は拝見していたんだけどね。ほら、実際のお姿とかけ離れている可能性も多々あるからさ」
危機感のないテオに、思わず詰め寄ってしまう。
「だいたい、殿下のお守りはおまえの役目だろ。どこの馬の骨ともわからん女を近づけるなんて、管理不行き届きもいいところだぞ。ただでさえ今日は周辺国の賓客も来てるんだ、ちょっとは危機感持てよ!」
するとテオは、黒檀のような双眸を細めた。
「ぼくだって遊んでいたわけじゃないよ、レギーナ嬢が押しかけてきたから、なんとかお引き取り願ってたんだ」
「レギーナ嬢って、例の〝殿下のベッドの奉仕人〟か? ひとりで来たのか?」
「まさか。玉のように健やかな赤子と一緒だよ。どうしても殿下にお目にかかりたいと言い張ってね」
普段は温厚なテオが、めずらしく苦い顔をした。別の意味で〝殿下の侍従〟として奮闘していたらしい。
「……そうか、そりゃ大変だったな」
苦労の多い幼なじみをねぎらったハンスは、気を取り直して続けた。
「とにかく、今すぐダンスを止めさせろ。もうじき〝例の姫君〟のご到着だ」
「無理だよ、さっき曲が変わったところだ。最後まで踊りきらないと体裁が悪いだろ」
「体裁なんかどうでもいい!」
つい大声を出してしまうが、怒鳴ったところで事態が好転するわけではない。
「もういい、おまえが止めないなら俺がやる。早くしないと〝例の姫君〟が着いちまう。こんなところを見られたら国際問題に……」
演奏を止めさせるべく、楽師の元へ向かおうと振り向いたハンスの懐に、柔らかいものが飛び込んできた。勢い余ってはじき飛ばしてしまったそれは、小柄な少年だった。
「失礼、怪我はないか?」
伸ばしたハンスの手を、少年のそれが取った。一回りは小さいかと思われる、華奢な手指だった。力を込めて引き上げてやると、少年は糸あやつりの人形のようにぎくしゃくと立ち上がった。
おそらく十三、四歳だろう。背丈はハンスの肩にやっと届く程度だ。
暗褐色の地味な上着に、同色の半ズボンと白い靴下。長い金髪を首の後ろでひとつにまとめている。
身なりからして招待客の近習──しかもごく下っ端の──だろうが、それにしては幼すぎるし、だいいち貴族に混じって大広間をうろついているはずがない。
「おい、ボウズ。こんなとこでなにをしている。従者の控え室は向こうだぞ」
すると少年は、王子を囲む人垣を見つめたまま言った。
「なにって……。決まってるだろ、舞踏会を見学しているのさ」
意外なほど澄んだ声。
わずかに西方の訛りが混じっていたが、ハンスの癇に障ったのは訛りより、むしろその不遜な物言いだった。
「……あん? おまえの主人は使用人の教育もしないのか? ずいぶんご立派な口の利き方するじゃねえか」
「まあまあハンス、落ち着いて」
熱くなりやすい幼なじみの性格を熟知しているテオが、間に割って入る。広間の隅っこへ連れて行き、少年の顔をのぞくようにかがみ込んだ。
「彼はアルブレヒト殿下の近衛隊長でね、この舞踏会の保安責任者なんだ。出席者の身元は把握しておくのが任務だから聞いただけだよ。きみのご主人はどちらに?」
やさしく問いかけるテオの声に、少年はようやく首を巡らせた。
その顔立ちは例えようもなく整っており、少女と見まごう美しさだった。
碧い目が、ハンスとテオを交互に射貫く。数瞬ののち、少年はにっと口許を引き上げた。
「本当に、分からないの?」
「え?」
「ならいいや」
どことなく楽しげにつぶやくと、少年は軽く首を振った。蜂蜜色の髪がかすかに揺れる。
「もうすぐ来るよ。今はお支度の真っ最中」
「ならなおさら、こんなとこウロウロしてんじゃねえよ。とっとと戻ってお役目に専念しな」
額を小突こうとするハンスの手からひらりと逃れ、少年は「乱暴だなあ、そんなんじゃ女の子に嫌われちゃうよ」と減らず口をたたいた。
「生意気言うな、このクソガキ!」
今度こそ拳骨を食らわせようと手を上げるハンスを、テオは「よしなよ、大人げない」と押しとどめた。
くすくす笑っていた少年は、ふと真顔に戻り、大広間の中心にできた人垣を指差した。
「それはともかく、王子さまは誰と踊ってるの?」
問われ、ハンスとテオは顔を見合わせた。それはこちらが聞きたいくらいだ。
うっかり「知らねえよ、いつものようにちょっと目を離したスキに引っかけたんだ」と本当のことを言いそうになったが、それより早くテオが答えた。
「我が国の将軍閣下のご令嬢だ。殿下とは幼少の頃から兄妹のように親しくされていてね、今でもこうしてダンスのお相手を務めることがあるんだ」
テオの答えはまるっきりの嘘っぱちだったが、対外的な言い訳としては上等だった。
このボウズが、どこの国の誰附きか分からない状況で本当のことを話すのは、賢明ではない。「ヴァルトラントは身元不明の娘が舞踏会にもぐりこみ、あまつさえ王子と踊るのを許してしまう」などと触れ回られては、王城の警備体制を疑われてしまいかねない。ただでさえ国際情勢が不穏なこの時期、他国につけいらせる隙はひとつでも少ないほうがいい。
すると少年は、「ふうん」と唇を尖らせたが、すぐに両手を頭のうしろで組んだ。くるくる回りながら、
「嘘ばっかり。メッケル将軍は年頃の息子ばかりで、唯一の娘はまだ七歳でしょ。それに王子は教育係だったノイマン夫人のしつけがきびしくて、女友達どころか同年代の男友達もいないもん。知ってるんだから」
「おま……、なんでそれを……!」
絶句するハンスの腕に、少年の指がするりとかかる。ぐいと引き寄せられ、耳許でささやかれた。
ふんわりと、芳香がただよう。
薔薇か、それとも百合か──。
「将来の伴侶になる人なんだから、それくらい知ってて当然だよ」
「……は?」
意味が分からず眉を寄せるハンスの耳に、パタパタとごく小さな足音が届いた。
やってきたどこぞの侍女らしき娘が、こちらを見るなり、両手で口許をふさいで大仰にのけぞった。
「まあ、姫さま!」
我がヴァルトラントの言語ではない、西の隣国の言葉だ。しかし簡単な単語ゆえ、意味は通じた。
──姫さま……って……
呆然と立ちすくむハンスとテオには目もくれず、侍女は少年の元へ駆け寄ると、
「どちらへおいでになったのかと、さんざんお探ししましたのよ。ああもう、なんというお姿で!」
と慌てふためきながら、百合の紋章が刺繍されたベルベットの布で少年の全身をくるんだ。
百合の紋章、異なる言語、そして姫とは──。
──まさか……
おそるおそる見下ろすと、少年はぺろりと小さな舌をのぞかせ、「見つかっちゃった」とつぶやいた。
そのあどけない顔は、アルブレヒト殿下へと贈られた、約束された妃殿下の肖像画にそっくりで──。
驚愕したハンスとテオは、数歩あとずさった。あわてて膝をつき、顔を伏せる。
「──これは、エレオノール王女!」
まさか、こんなところに。少年のなりをして。
今日の舞踏会の真の主役である、グリフェール王国第五王女・エレオノール姫がいようとは、誰が想像できようか。
うなだれた目の前に、小さな革靴があった。とても王族が身につけるとは思えぬほど、飾り気のない質素な靴。
ハンスはようやく声を絞り出し、さらに頭を垂れた。
「数々のご無礼をお許しください。よもや王女とは存じ上げず……」
知らなかったとはいえ、一国の王女にぞんざいな口をきいたあげく、殴ろうとまでしてしまった。打ち首になっても文句は言えぬ。
すると、目の前の靴が動いた。
「おもてを上げて、ヨハネス・フォン・バッセルハイム近衛隊長。それに……テオドール・フォン・シュテルンベルク侍従長」
こちらがまだ名乗りもしないのに、正確に役職名まで呼ばれ、血の気が引く。
しかし姫は、
「貴方がたに罪はないわ。正体を隠して変装までしていたわたくしが悪いんですもの。だから床とにらめっくらするのは止してちょうだい」
と、あくまでおだやかに言った。
ハンスとテオは顔を伏せたまま視線を合わせると、観念して立ち上がった。
目が合うと少年──もとい、エレオノール姫は静かに微笑んだ。
「黙っていてごめんなさいね。だってわたくし、普段の殿下がどんな方なのか、拝見したかったの。エレオノールとしてお目にかかると、殿下の本当のお姿が分からないもの」
先ほど「いつものように女を引っかけた」と口を滑らさなくてよかった、と、ハンスは内心胸をなで下ろした。
そのとき、十二時を知らせる鐘が鳴った。
と同時に人垣が割れ、アルブレヒト王子と踊っていた娘が飛び出してきた。ドレスの裾を持ち上げ一目散に去ってゆく娘を、王子が「お待ちを、愛しい人!」などとわめきながら転がり出てきた。
ハンスとテオは、同時に振り向いた。反射的に一歩踏み出しかけたハンスだったが、それより早く「ぼくが行く」と、テオが目顔で知らせた。
「御前失礼いたします」
短く告げると、テオは娘を追っていった王子の元へと駆けていった。
人垣を作っていた貴族たちは輪を崩し、待っていましたとばかりに先ほどの娘について語り出した。娘の正体を探る下卑た話題に、ハンスは顔をゆがめた。
これ以上、心苦しい噂話をお耳に入れるべきではない。ハンスは姫をバルコニーへいざなった。
夜気を含んだ空気が、舞踏会の人いきれで火照った身体をひんやりと包む。眼前には国名を象徴する深い森が、闇をまとってどこまでも続いている。
温暖なグリフェールに比べると、我が国は年間を通して気温が低い。寒くないかとたずねると、エレオノール姫は王家の紋章入りのショールをかき合わせ、ゆるく首を振った。
姫は漆黒の木々を眺めつつ、
「……殿下は、恋多きお方だとおうかがいしているわ」
と、つぶやいた。
「〝女友達〟はいらっしゃらないけれど、〝ゆかりの深い女性〟は数え切れないとか。今もレギーナ嬢とおっしゃる方を懇意にしておられるそうね」
「……それは……」
的確に事実を指摘され、ハンスには返す言葉がなかった。
姫は「将来の伴侶になるかもしれない人だから、知っていて当然」と言っていた。王子の身辺調査は完璧なのだろう。
──だからあれほど、女遊びはほどほどにしておけと釘を刺しておいたのに。結婚どころか破談になったらどうするんだ!
我が君の情けなさに、ついこめかみを押さえてしまった。
ハンスの苦悩ぶりを見たエレオノール姫は、ゆっくりとまばたきをした。
「気遣いは無用よ。わたくしも王家の女ですもの、お相手に関しても〝わきまえて〟さえくれれば、目くじらを立てるつもりもなくてよ」
伝統的に公妾制度が根付いている国に生まれ育った姫には、未来の夫の愛人を受け止める覚悟が備わっているのだろう。
ちらり、とハンスは姫の横顔をうかがった
なんの感情も浮かんでいないそれは、彫刻のように冷たく感じられる。身分を伏せていたときのような、朗らかな笑顔は消え失せていた。
愛のない、政略結婚。
王家のみならず、名家における結婚の意義とは、ただ血を繋ぐため。それ以上でもそれ以下でもない。貴族の家に生まれたハンスの行く手にも、不快な影のように付きまとうものだ。
エレオノール姫はショールを開き、身につけた少年従者の服装をあらわにした。
「どう、よく似合っていた? あなたもシュテルンベルク侍従長も、まるで疑わなかったわ。わたくしの男装もなかなか様になっていたようね」
「は……。その節はたいへんなご無礼を……」
「それはもういいってば」
かしこまったハンスを、姫は苦笑交じりに見上げた。ややあって視線をはずし、暗い森へと投げる。
「……不思議なものね。かりそめの格好のはずなのに、このほうがよほど本当の自分みたいに思えるのよ」
姫はショールを羽織りなおすと、天を仰いだ。
「あーあ。つまらないわね、女って」
どくん、と心臓が跳ね上がった。
──女は、つまらない……
それは、ハンスの口癖だった。
「ねえ、バッセルハイム近衛隊長。あなたには〝心に決めたひと〟はいらっしゃる?」
突然問われ、ハンスはうろたえた。
エレオノール姫の湖水を思わせる碧い瞳が、こころなしか潤んでいるようだ。
ごくりとつばを飲み込んでから、
「自分には──そのような相手はおりません。ただ、剣だけを生涯の友とするのみでございます」
我ながら面白みのない返事だったが、エレオノール姫は、
「そう……」
とだけつぶやくと、それ以上の追求はしなかった。
「わたくしの〝決められたひと〟はアルブレヒト殿下ただおひとり。それは揺るぎない事実だし、わたくしもよく心得ているわ。だけど──〝心の決めたひと〟は、どうかしら」
それは──どういう意味でしょうか。
訊ねることもできず、ハンスにはただ口許を引き締めることしかできなかった。
どのくらい経っただろうか、例の侍女がおそるおそるといった様子で「あの、そろそろ準備をなさいませんと……」と顔を出してきた。
それを合図にしたように、エレオノール姫は革靴のかかとを鳴らし、ハンスを置いてすたすたと広間へ戻っていった。
姿が見えなくなる寸前、姫は振り返った。蜂蜜色の髪がシャンデリアの明かりに透け、きらきらと輝く姿は苦しくなるほど美しかった。
「……覚えておくわ、バッセルハイム近衛隊長。あなたなら──」
その先は──木々のざわめきが邪魔をして聞こえない。
淡紅色の唇が、ゆっくりと動く。
軍隊で読唇術を会得したハンスだったが、逆光のせいか声にならない声を読むことはかなわなかった。
そうして男装の姫君は、ハンスの前から永久にその存在を消してしまった。
半刻後、テオの説得によりアルブレヒト殿下が大広間へ戻ってきたとほぼ同時に、豪奢なドレスに着替えたエレオノール姫が臨席した。
そう、姫は「たった今」やってきたのだ。
王子のつかの間の恋の語らいも、逃げる娘を追いかけていったのも、姫には「まったくあずかり知らぬ」ことなのだ。
王子は手にしていたガラスの靴を大臣に預けると、姫の手を取りステップを踏みはじめた。先ほどの娘のときと違い、明らかに熱が入っていない。風船のような胸と尻に女の価値を見いだす王子には、いまだレディとも呼べぬ年若の姫には興味がわかないのだろう。姫もまた、硬い表情を崩さなかった。
ハンスはしばらく、金糸銀糸を織り込んだトレーンが優雅にひらめくさまを眺めていたが、これ以上の監視の必要はないだろうと判断した。同じように控えていたテオの肩を叩き「あとを頼む」と言い残して大広間を後にした。
警護に当たっていた部下に退出を告げ、途中すれちがった貴婦人たちの誘いを幾度かかわし、うんざりするほど長い廊下を抜ける。
自室の扉を閉めるとようやく人心地がつき、ほうっとため息をついた。施錠を確認したのち、軍服の上着を乱雑に脱ぎ捨てた。
「お帰りなさいませ」
歩み寄ってきたのは、ハンス附きの侍女であるドロテアだった。
通常、騎士の従者はエスクワイアと呼ばれる少年がつとめるものだが、彼女は〝特別〟だった。
「演習でもないのに、ずいぶんとお疲れのご様子ですわね。お珍しいこと」
「……演習のほうが百倍マシだよ。俺にはああいう場はとことん合わないんだ」
大儀そうに肩を回すハンスに、ドロテアは目を見張った。
「まさか踊られたのですか?」
「まさか。俺のダンス嫌いはおまえも知ってるだろ?」
でしょうね、とドロテアはあからさまに安堵の色を見せた。
「ああ驚いた。だってヨハンナさまのは、ダンスというより麦踏みですもの。パートナーのおみ足を踏みつぶしてはいけませんから、今後もダンスはご辞退なさったほうが賢明ですわよ」
乳兄弟とはいえ、仮にも主人に向かってこの言いぐさ。容赦のないドロテアに、ハンスは苦笑した。
「さあ、お召し替えなさいませ」
ドロテアはハンスの背後に立ち、まずダブレットを脱がせ、次に編み上げ紐をゆるめるのを手伝った。職人に作らせた特注のコルセットは、本来の目的であるウエストのくびれを作ることはなく、むしろ胴を平たく保つ用途に特化していた。
「最近、コルセットがきつくなってきたな。ボーンを補強させて作り直させるかな」
「お胸がきついのは、月のものが近いせいでしょう。明日からゆるめにいたしましょうか?」
慣れた手つきでドロテアはコルセットを外し、下着一枚になった主人の肩に夜着を羽織らせた。戒めから解放された胸を大きく上下させ、ハンスは深呼吸した。
「いや、いつも通りでいい。ただでさえ他国の者がうろついてるし、いつどこで正体がばれるとも限らん。油断は禁物だ」
「お隠しになりたいお気持ちも分かりますけれど、やりすぎると身体に悪うございますわよ」
ドロテアはあきれたようにそう言うと、軍服を抱えて部屋を出て行った。
ひとり残されたハンス──生まれながらの名は『ヨハンナ』だ──は、姿見に映った己の姿を見つめ、いつもの口癖をもらした。
「……つまらないな、女ってのは」
END
初出:2016.2
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