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笑えない子供だったけれど

こんにちは。いつもありがとうございます。
今日はボディランゲージが苦手な私が表情のトレーニングをして何を得たか、という話です。


愛嬌があって親しみやすいね

と大人になってから何度もたくさんの人から言われた。


子供のころはニコリともせず、ぱっつん前髪におかっぱあたまで、床の間のお菊人形さながらだった写真なら残っている。
一体どこでこんなに自分は変わったのか。

思いつくとすれば、素敵な笑顔が浮かべられたらいいな。と漠然と思った中学生ころだろうか。好きな男の子に少しでも可愛く見せたかったのかもしれない。

はっきりとは覚えてないけれど、鏡の自分を意識しだした年齢だったのは間違いない。

その頃のわたしはとても慎重で、余計な事は話さなかった。
わたしにとっての不思議はみんなの不思議ではなかったし、真面目な疑問はふざけた冗談のように聞こえたからかもしれない。

それが個性であって、わたしはそんな自分を好きなんだけれど。

笑顔はそんな面倒なすれ違いを無くして、相手に「嬉しさ、喜び、好き」が伝わるのを知っていたわたしは
笑顔になれば今までの問題のうちのいくつかは解決するような期待もあった。

笑うと目が三日月のようになるらしく、
口元をきゅっとあげると少し大きめの前歯がリスのように見える。

そうして口下手で愛想のないわたしに少し友達が増えた。
淡い恋は成就しなかったけど。
それでも今でもたまに連絡し合う友人がいる。

こうして笑顔という心強さを手に入れ大人になった。


大人になるにつれ、たくさんのトライアンドエラーの連続ながら、だんだんと周囲の空気を掴めるタイミングも増えてきた。

初対面でもにっこりするだけで、人と距離をあまり置かない、(置けない)わたしは割とキャラとしてなんとなく成り立ち
人間社会を嫌にならない程度に周りにも助けられた気がする。



でも最近になって思うのは、つくられた笑顔は人を嬉しくさせるけれど、
何気ない時にふっ.…と出る微笑みのような

たとえば愛犬がじゃれついてくるときの愛らしさに頬が緩んだり、サボテンの変なところから新芽が伸びていたおかしさにクスッとなった時のような
そんな自然とこぼれる''笑み''は自分を幸せにしてくれることに気づいた。

せっかくたくさんのエラーも出しながらいろんな思いを抱えて大人になったんだもの、これからは自分のための笑顔を毎日少しずつ増やそうと思っている。


読んでくださってありがとうございました。
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