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量産型の暴力という文章※SNSからの気づき

さっき猫も杓子も、みんながみんな文章を書き出した。そしてそれを''エモい''と表現するなら、それは相手にただただアンニュイで
センシティブな気持ちを文字にしてぶつける暴力を指しているのでは?

といった主旨であろう(読み手の解釈では変わるので、私にはそう捉えられた)
投稿をSNSで読み感じた事。


確かに剥き出しの感情とは荒削りで、
直接的に相手にぶつける拳に似ているのかもしれない。
例え小さい拳でも、叩き続ければアザになる。 

SNS内では返信がその後につづく
「誰しも心にぽっかり空いた穴があり、それをさらに広げて青空を見ようとすること。
それが書く事じゃないか?」

空いた穴を見ないため、匿名性という盾に隠れて誹謗中傷という攻撃を仕掛けるのではなく
、真実をその穴から更に見つめて筆を取る。
そういう意味ではないかと私は捉えた。

この方たちのやりとりは、書くことと生きることが同じベクトルであり、きっと同じ方向を文章を通して見る事が可能なんだな。書いて生きるプロなんだな…と感じた。

文字は語弊を生み、対面が1番無難で安全なのだろうけど、文字と文字のやりとりの中でも
生きていける者同士の会話は、周りも巻き込んで、暖かく新しい何かを生み出せるのでは。

そんなやりとりをできる人を見つけたら、私はきっと離したくないなぁ。
恋愛感情でもなく、仲間意識とも少し違う。
自分の片割れのような感覚に浸ってみたいのかもしれない。


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