「歴史編6」奈良時代 勉強が辛いバスガイドさんを減らし隊♡
明日からつかえる!EriEriのバスガイド丸秘ネタ!
只今、歴史編をシリーズでお届けしております♫
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歴史の話はこのまま使うというより、ざっくり頭にいれておくと観光地の案内をするときに話をつなげられるようになったりお客様への説明がわかりやすくなるので基礎といった感じで記録にのこしていきます!
縄文時代から大阪の陣まで・・・
今回はざっくり【奈良時代】
奈良県の県名にも使われている「奈良」
これは710年に「平城京」という都がおかれた場所からきています。
土地を平らにすることを「ならす」といい、都が「平らな奈良盆地」におかれたことから「平らな都」をあらわす意味で「奈良の都」と言われるように。
都の名前にも平城京・・・「平」という字が使われています。
都を奈良にうつしたのは「天智天皇/中大兄皇子」の4女で「元明天皇」で唐の都である「長安」をモデルに平城京をつくったそうです。
東西に約4,2キロ
南北に約4,7キロ
710年に奈良盆地に都が置かれてから、京都に移るまでの74年間を「奈良時代」といいます。
その奈良時代がどんな時代だったかと言いますと、万葉集の中に「あおによし 奈良の都は咲く花の におうがごとく 今さかりなり」とうたわれています。
なんだか、華やかそうな感じがしませんか?
華やかな暮らしをしていたのは天皇・貴族の「一部」の人のみで、農民の生活は苦しかった。
理由のひとつは「税」
今は税を「お金」で納めますが、当時は一生懸命つくった「お米」
ですが、雨が降らなくなってお米が育たないうえに、食べ物がないのに都で肉体労働をしないといけない、体がどんどん弱って病気になる人が増える。
そして貴族同士の権力争いで都にはよくないことばかり。(気になるかたは・・・長屋王の変で調べていただけるとでてきます♬バスの中ではなすことはなかったのでカットします)
ざっくり言いますと、都に次々とおこる災いを治めてもらおーう!とつくったのが「奈良の大仏様」です。
大仏様のお家である「東大寺の大仏殿」は「唐」の影響が強い建物。
なんで当時、唐のことが分かるのかと言いますと「遣唐使」が唐の文化を伝えてくれるから。
遣唐使は630年〜894年まで「264年」続きました。
そのなかで唐からやってきたえらーいお坊さんが「鑑真」
仏教だけでなく建築や彫刻・薬の知識を教えてくれました。
この鑑真さんが建てたのが奈良県にある「唐招提寺」
鑑真さんや唐招提寺については「県別・奈良県」で詳しく紹介する予定ですが、ここでは1つだけ。
唐招提寺は奈良県のお寺の中でも「特別」なお寺。
その理由の1つが鑑真のねむるお墓があること。
お寺にお墓があるのは当たり前と思いますが、実は奈良では珍しく、東大寺・興福寺・薬師寺にもないそう。
なぜかと言いますと、奈良のお寺の多くは現代風にいうと「国立の寺院」
当時のお坊さんはいわば「国家公務員」
公の寺に「個人のお墓」はつくれないのですが、唐招提寺は「鑑真さんのプライベート寺院」だから鑑真自身のねむるお墓があるんだそうです。
長くなりましたが「奈良時代」ここまで*^^*
次回は「平安時代」です!
また、バスガイドさんにとってはノートに書き写す作業も大変!ですので、紙媒体で資料の販売もしております。
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