17.1年後の復帰
やりたいことをやる1年を過ごしましたが、
だんだんひとりで家で母と妹が集会や奉仕から帰ってくるのを待つことに少しずつ寂しさを覚えていきました。
父もあの時こんな気持ちだったんだろうなと改めて思う毎日でした。
母も妹も不活発者である私に対して態度は冷たかったです。
この頃から母と口論になったり、母の機嫌を少しでも損ねる発言をすると、最低でも2週間は、必要な用事であろうと話しかけても一切無視されることが増えました。
ゴムホースでの懲らしめがもうできない分、母は精神的に私に畳みかけたのだと思います。
今いる家族とも仲良くできず、これから私はどうなっていくのだろうと悩み始めます。
そんな中学3年の3月のある日の学校の帰り道、何気なく気分でいつもとちがう道で帰ろうと回り道をすると、コンビニのコピー機の前で知っている人を見かけました。
その女性は『特別開拓者』としてK会衆に派遣されていたY姉妹でした。
素通りしようと思い目線を外そうとしましたが、
Y姉妹は偶然私に気づいて、コンビニの窓越しに笑顔で手を振ってくれました。
そのY姉妹の暖かい笑顔がなんとなく、でもどうしても忘れられなくて、
帰宅してから私は母に事のいきさつを話して電話番号を聞き自分からY姉妹に連絡したのです。
Y姉妹は私があの道はいつもの通学路ではなくなぜか回り道をしようと思ったことを『エホバが導いてくださったのよ。』と言いました。
今はそんなわけはないと冷静に思うことはできますが、
あの時の私はたぶん人恋しかっただけ、人の暖かさが欲しかっただけだと思います。
そんな時に現れたY姉妹の言うとおりなのかもしれないとその時は思ってしまいました。
それから5月に我が家がまた引っ越しをし、それを機に今まで溜めていた大好きだった漫画も絵も全て自分の手で処分し、
私はまたK会衆の王国会館へと足を踏み入れることになりました。
一度『不活発者』となっているので奇異の目で見てくる成員の方が大半でしたが、私の『復帰』を喜んでくれた人も数人はいましたし、
私はY姉妹のエホバの証人としての活動面での援助を受けながら集会や奉仕活動に定期的に参加するようになり、
親にも学校にも反発して大事なこの1年間高校受験の勉強も全くしてなかったのでぎりぎりではあったのですが、
なんとか家から一番近い高校に合格し、晴れて高校生となりました。
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