13.伝道者のちバプテスマ
会衆という組織の狭い空間の中で繰り広げられる人間関係、特に男女の嫌なところを見せられて、ますますエホバの証人として生きることが嫌になっていましたが、
母からはいつの頃からか私たちが母の機嫌を損ねたり怒らせたりすると『家から出ていってかまわない。』と何度も何度も言われて、
けれど未成年の私には親元から独立できる経済力も手段もなく、私はエホバの証人として生きるという敷かれたレールの上を走らざるを得ないことを覚悟します。
小学5年生でA姉妹に司会をしてもらって毎週火曜日に聖書研究、
そののち『神権宣教学校』に入り王国会館の演壇で伝道者になるための練習を披露する、
小学6年生で伝道者となり、今までは母のうしろについていけばよかったのを自分の口で家から出てきた人に証言することになりました。
人間というのは心に思っていないことは見事に口から出てこなくて、私はエホバを愛していなかったので、知らない人に何を話していいのか全く分からなく、
エホバの証人が発行している『聖書から論じる』などのマニュアルのような書籍たちから文章を一語一句紙に書き出して、それを丸暗唱してオウムのように繰り返し『証言』していました。
震える手で家のチャイムを押すたびに『クラスの子の家ではありませんように。』と必死に願っていました。
こんなに心がこもっていなくても、費やした時間や配布した書籍や雑誌という『数字』で判断され、
私は中学1年生の1999年7月24日に名古屋ドームで行われた地域大会でバプテスマを受けました。
バプテスマを受ける前に奉仕中の会話の中だったかで
『心からエホバにお仕えしていなかったり隠れて罪を犯している人はバプテスマの時介助の兄弟が何人がかりでどれだけ押さえつけても、体が水に沈まない』
という話を聞いていたので、
私はエホバを愛していないしむしろ嫌いだし、母の目の届かないところで姿を現す『裏の顔』を持っているから沈まないな、と本気で思ってバプテスマに臨みました。
けれど当日はすんなり沈んでしまったので、エホバって本当の私を見ていないの?と思い、エホバという存在に疑問を感じた、ある意味特別な日となりました。
正式な組織の一員になれた嬉しさなんて全然なくて、
私がバプテスマを受けることを知っていたK会衆の兄弟姉妹たちや髪の濡れた私に気づいた周りの知らない兄弟姉妹たちが声をかけてくるのを自分の横でとても誇らしそうに喜ぶ母の姿を俯瞰距離の位置で見ながら、
これからの私は今まで以上にただ目の前の敷かれたレールを走るだけだ、
けれど母をこんなに喜ばせてあげられたことが嬉しかったきもちもありました。
ちなみに数年後に妹がバプテスマを受けた日は、これで念願の完全な『神権家族』になったと、母の喜びは私の時以上にひとしおだったのも覚えています。