2月24日〜28日

どこかのツイートで見た覚えがある。東京の25歳はまだ子ども扱いされる、30歳ですら若い部類のコミュニティがある。ところが地方に行くと25歳なんて子どもがもう小学校、子ども扱いなんてされるはずもない。この温度感についてのやり取りだ。

私なんてどちらかというと東京の子ども大人の部類で、40歳になるのにも関わらず未婚。結婚歴もないから子どもはいない。年齢を言うといつも驚かれる。嬉しい反面、そろそろ様々な責任や苦労を積み重ねていない(かもしれない)自分の年輪に不安も感じている。

しかしそんな私の不安をよそに子ども大人を満喫している、というより子ども大人を振りまいている人に心底呆れ果てた出来事があった。うまくこのニュアンスが伝わるか自信がないし、ともすれば誰かを傷つけてしまうかもしれない。丁寧に書こうと思う。その人は45歳位の女性で、未婚。独身。ハリネズミのペットを溺愛し、COVID-19がハリネズミに伝染らないかを心底心配しているような人だ。社歴はそこそこ長い、がそこまで長いわけではない。彼女のいる部署のディレクターと仲が良い。そのディレクターと同時に転職をしてきた。つまり社歴はそれほどまで長くはないが、ディレクターとの付き合いがとても長い。服は派手(全社イベントで誰も想像したことのないような色のスーツを着るようなタイプ)で、メイクも時間の積み重ねを感じる。声はソプラノにまで届かないが高い。高いが、年齢を重ねた声帯の弱さを感じる程度には若くない声。若いもしくは役職が下のメンバーには優しい様子を見せ気遣いを押し付ける。女性の部下には強気な態度を取る。男性の部下には甘える。男性の上司に対して破天荒な甘えっぷりで合意形成をはかる。(男性上司たちはロジカルではない彼女の言うことをその場は聞いて、後でやわらかく否定をして事なきを得る。)女性の上司には喧嘩腰で議論をふっかけ、その場にいる男性上司に間を取り持ってもらう。ちなみに自分と同じ年齢か同じ程度の役職にある人の前では、先程まで甘えていた男性上司たちのことを「おっさん」と称して時代遅れの人に振り回される若者を演じる。そんな彼女ととあるプロジェクトでご一緒させていただいていた。しかしCOVID-19の影響もありプロジェクトを一旦閉じなくてはならなくなった。

他のプロジェクトメンバーとは事前に議論を重ね、妥当な結論だなということで合意していた。1年以上も彼女の奔放な意見に振り回されていたため彼(他のプロジェクトメンバー)と私は、少し胸をなでおろしていた。同時に彼女を説得するのが難しいこともお互い知っていて、どうやって彼女の気持ちを軟着陸させるかが最大の課題だった。

結論から言うと、彼女は泣いた。「やだやだ」と。

自分より年上の方が泣く場面には何度か出くわしたことはある。男泣きをする人たちもいた。声にならない声。全く表情が変わらないのに目から一筋の涙が落ちる。様々な物語を含んだ「泣く」行為には心打たれることが多い。しかし今回泣き出した彼女をパソコンの向こうに感じた私は(テレワーク中、ウェブ会議中でした)音声を切って悪態をついてしまった。あかんあかん、悪態は自らを傷つける。そう言い聞かせて、顔は見えないのに笑顔を取り戻し音声を戻し、彼女の気が落ち着くのを待った。落ち着かなかったんだなこれが。やだやだが落ち着くと「もういいよ終わり!やめ!(私)さんと(彼)さんは頭がいいんだしその二人がやめるって結論だしているんだったらそれでいいよもう。」と他人に理由を転嫁してふてくされながら勝手に話を終えようとしたのだ。(もう一度言わせていただくが45歳前後の社会人の行動によって)私と彼はパソコンの前で絶句した。

彼女は自分の部門の売上がうまくいっていなかった。彼女の管轄している商品の売上が対前年比を上回ることの方が稀だった。ディレクターと仲がいいこともあって彼女に意見する人も少なかったのだがそれも限界だという様子が部署全体に広がっていた。居場所が少なくなり、居心地が悪くなってきた、そんな時に降って湧いたプロジェクトに彼女は勢いよく乗り込んだ。ミーティングに手作りのお弁当(人数分)を持ってくるくらいの勢い。プロジェクトも順調で彼女の存在感も持ち直してきたようだった。何よりプロジェクトメンバー(私と彼と他数名)との時間が彼女の居心地の悪さを中和してくれていたらしい。プロジェクトも中盤を過ぎると、話し合うことだけが目的となり何も決まらないようになった。明らかに彼女が結論に至る道に砂と水をかけて泥まみれにしていた。なかなか進まないプロジェクトに、私と彼は疲れだしていたが意味のあるプロジェクトだと知っていたのでなんとか前に進めた。彼はガントチャートを整備した。議事録はお互いに丁寧にとり、メンバーに共有した。資料作りのためのミーティングを重ねては、彼女のパートの破天荒さに何度も修正した。彼女はそれでも満足で、集まることそれ自体に満足していた。。絶句していた私たちに泣いていたことをアピールするかのような震え声で彼女は「みんなと一緒にいる時間がなくなるのが辛い」と言った。仕事なんだぞこれ。

プロジェクトは予算がついていた。「お金が使えるプロジェクトなんて他にない。だからこの枠の中でしかできないじゃん。」というのは私が「みんなといることが重要だったり、ボトムアップで意見を出して実行することが重要なんだったら(彼女はたしかに数分前にそういった)新しくプロジェクトを立ち上げて自分たちのつながりを改めて作ればいいじゃないですか」といったときの回答だ。新たなつながりを作る/維持する、ボトムアップで会社に意見をする、もっともらしい彼女の夢はプロジェクトがなければ存在すらできないらしい。なんだか墨東まち見世の初年度に、自分たちのつながりのきっかけが大きなイベントに依存している現状に対してボランティアメンバーのかよさんが39アートin向島を生み出してつながりを自律させたことを思い出して比較してしまった。大きな差がある。

相対的に目の前にいる彼女を捉えるのは彼女に対して失礼かもしれないとは氷の粒ほどは思ったが、こんな子どもの茶番に付き合ってられない。

色々あって私がどうやらディレクター陣にプロジェクト終了の報告をするらしい。もうなるようになれ…。

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