スタンドFM vol.6

一流は見返りを求めない、のではないと思うわたしの見解
一流は見返りを求めない、見返りを求めるようでは一流になれない、という言葉を聞いたことがあります。
見返りを求めるのは二流だ、とも聞きます。わたしはこの言葉の意味をはき違えている人が多いように思います。一流になりたければ、見返りを求めずに頑張り続けることがいいんだ、とそれがいつか報われるように思って苦しくてもがんばり続けることで自分を疲弊させている人がいる気がしています。
わたしが自分のやりたいことを見つけたときに、やりたいことをしている自分の感情がワクワクしているので、それが自分を満たしてくれることを感じました。そのときに思ったのです。一流の人たちは見返りを求めないというより、自分の好きなことをしているだけなのではないかと。自分自身がそれで満たされていて、それが社会の役に立つことであったということではないか、と。ここ重要だと思います。社会のためにこれをしよう、ではなく、自分のやりたいことをしていたら社会に貢献していた、という感じでしょうか。もちろん、一流の人ですからこれからの社会には、これが必要だ!という目は持っているかと思いますが、自分が楽しいからがむしゃらに働いて、つい家庭をおろそかにしてもやりたいことにのめり込む、それほどに自分の好きなことを見つけた人なのではないでしょうか。その一流の人を見て、周りの人が、一流は見返りを求めずに、何かを犠牲にしながらもがんばり続ける、と客観的に感じたことが"一流は見返りを求めない"という言葉を作ったのではないでしょうか。自分の感情は自分しか分からないのに、一流本人ではない人が社会貢献をしている人を見て、大変なことを担ってくれている、自分の家族まで犠牲にしてなどと思い込んで出てきた言葉なのではないかと思うのです。

真実はもちろん一流のその人たち本人にしか分かりません。でも、好きより、社会のためということの比重が多い人にとっては、仕事の時間は苦痛かもしれないし、がんばり続けることが難しいのは当たり前だと思うのです。資本主義のこの社会はどうしても社会のためになることの方を優先させなくてはならないような状態になっているのかもしれません。好きとか嫌いとか言っていては何もできないと。でも社会のために苦しみながらがんばることがわたしたちの生きる意味ではないのではないでしょうか。わたし自身、以前苦しんだ経験があるので感じたことです。今のわたしは自分がワクワクするからやっているし、この発信がもしこの世の一人にも当てはまらなかったとしても、それはただそうなんだな、と思うだけです。でもこれから何世代か先にこの発信が身を結ぶかもしれない、どこかの人が幸せに気付いたり、ちょっとでも生きやすくなったりしたら嬉しいな、とそのことを考えるだけでわたしは自分が満たされるのでこの発信をしています。
見返りを求めてはいけない、と苦しくてもがんばっている人がいたら、これは自分がやりたいことなのか、と一度自問したり、やりたいことってなんだろうと思いを巡らせてみてもらえたらと思います。
見返りを求めずにやりたくないことを頑張り続ける必要はどこにもない、ということもお伝えしたかったことです。

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