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「何のために働くのか?」 雪が降るから考えてみた

わたしが住む東京の西の方では、雪が積もり始めた。雪に備えて、自宅で仕事ができるようにパソコンを持ち帰ってきた。
こんなふうに自己判断で仕事の進め方を決められるのは本当ありがたい。当たり前だと思いつつ、そうはいかない人がたくさんいる。

「何のために働くのか?」

ずっと考えていて答えがでない、あるいは日によって答えが変わりそうな問いを、東京の降雪くらい珍しく真剣に考えてみようと思う。

「私たちには給料日がある」が持つ意味

ドラマ『わたし、定時で帰ります』の名台詞のひとつ。

原作を読み、吉高ちゃんが好きなわたしは、毎週楽しみにこのドラマを観ていた。(吉高ちゃんのかわいさも、中丸くんの裏切りも、向井理がかっこいいところも全部よかった! ちなみに今クールの『知らなくていいコト』も観ています)

「働きがい」を求めて悩む同僚に「私たちには給料日がある」とあっさり切り返す吉高ちゃん。でも、これは「お金のためだけ」に働いていることを意味しているわけではない。彼女は過去に強い責任感からくる「働きすぎ」で心身を壊しているのだ。
優先順位をつけて、「給料日」というひとつの分かりやすい楽しみを味わうために、働いていること。それを卑しいというひとがいたとしても、「自分がよければ、いいじゃないか」ということを教えてくれた。

ドラマの続きを観ていくとわかるのだけれど、やはり彼女は決してお給料日だけのために働いているわけではなかった。

働くにあたり、迷って悩んで自分を見失い病んでしまうくらいなら、「給料日」という分かりやすいベンチマークを設定しておくのはとてもいいと思う。本質的解決でなかったとしても、処世術は必要だ。

お金のため、家族のため、スキルアップのため……表面上の「働く目的」はあっていいと思う。

ただし「本当はどうなんだっけ?」と立ち止まって考えておくことも重要だ。そうでないと、いつのまにか表面上の目的が、どんどん頭と心に浸透してしまう。

思いがけない楽しみのために働く

あれこれ考えているうちに、大学4年生の時に読んだ田坂広志さんの本を思い出した。内定者の宿題図書だったと思う。

細かいところを覚えていないので、また読み直そうと思うけれど、読了後にブルブルッとして、何もできないのにただただ働くことが楽しみになったことを思い出した。自分が社会人として活躍する(!)イメージがわいたからだ。

働くということは、自分の楽しみの選択肢を増やすことだと思う。働いていなかったら、今日も明日も明後日も誰とも会わないかもしれない。話すこともないかもしれないし、何も考えないかもしれない。自分の考えや意見を人に伝えることもない。無理をすることがない。無理をしないということは、予定調和であり、思いがけない楽しみが生まれないのだ。

思いがけない楽しみのために、働いている……。

こんなことは意識が高すぎるし、不確実でぼんやりとしていて口にはできないなと思う。ぼんやりしていると「本当にこれでいいのか?」と悩んでしまうし。だから「給料日」という多くの場合確実な楽しみを言葉で仮置きするのは、精神安定ハックとして有効なんだと思う。

ちなみに、わたしの場合は入社3年目に、この楽しみがひとつも描けなくなってしまう状態になった。1年後、3年後、5年後、10年後の自分がまったく楽しみではなく、むしろ暗い闇に落ちていくような感覚を覚えた。

今となってはそこまで絶望しなくてもよかったのではとも思うけれど、心身が健康な状態であの闇から抜け出すために、転職したことは後悔していない。

思いがけない楽しみは、面を増やすと増えるかもしれない

わたしの勤めている会社(エンファクトリー)が「専業禁止!!」という人材ポリシーを掲げ、複業(副業)を推奨しているということもあり、複業の効果については自分自身とメンバーの様子を見て実感値がある。
ひとつの会社でずっと勤めていると「思いがけない」という状況は作りにくい。予定調和になりがちだ。でも、複業すると、楽しみが増え出す。

「働くのがつまらない」「何のために働いているかわからない」という人は、ぜひ直近の仕事上の「思いがけない楽しみ」を思い起こしてみてください。
意外とみつかるかもしれません。ない人は可能性を広げに外の世界に出てみませんか。


#はたらくを自由に #Teamlancer   #わたし定時で帰ります #知らなくていいコト  

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