「騎士団長殺し」村上春樹 感想
色々なものから解放されて、久しぶりに本を読んだので、また本の感想を続けていきたい。
そんな日は日記の代わりに。
騎士団殺し、4冊目まで途切れず読んでいたのに、4冊目の途中で試験に追い込まれてしまい、2か月ほど放置してました。
*あらすじ*
妻と別れた後に車で当て所なく放浪を続けていた「私」は、友人の雨田政彦から小田原市内の山荘を紹介される。彼の父は高名な日本画家で、家の中で私が発見したのは「騎士団長殺し」というタイトルの1枚の絵。
人里離れた山の中で次から次へと不可思議な出来事に巻き込まれていく私の前に、遂には実体化した騎士団長が現れる。
*感想*
とりあえず、今回はいつもにも増して性描写が生々しく、出先で読むと人目を気にしてしまうような場面が多くありました。
誰も気にしてないってわかってるんですがね…。
そんなに必要??ってくらい多かったです。もう、本当に。
そういうところを除けば、イデアとか目に見えないもの・見えるものとか、本質を大切にする哲学的な要素が多くて面白かったです。
春ごろから個人的に哲学にハマっていたので、イデアとか本質の大切さということろは、すんなり受け入れられました。
主人公が画家で、そのつながりでの友達やその父親の絵が「騎士団殺し」だったり、「免色」さんが似顔絵を描いてほしいと出会ったり。
目に見えるものを書き写すという行為。
本を読んだ後、こうやって感想をまとめる時に、色々な人の感想を読んでしまうのだけど、主人公と免色さんの物事の捉え方の違いを指摘していました。
主人公と免色さんの共通点は、「相手が妊娠したのは俺の子なのか?」という事件(?)があったこと。
免色さんは、現実が好きなタイプのようで、自分の子なのか証拠を見つけようとします。外側から見つけていこうとする。
画家の主人公は、目に見えるものを絵に形にして残すけど、イデアという「目に見えないもの」を見たり妊娠させる妄想(?)を信じてみたり、ある意味スピリチュアルな面もあるようでした。
やっぱり村上春樹の文章は、彼の伝えたいこと(あるのかな?)がねじまがりすぎた表現となっていて、つかみにくい。
*言葉*
・私は時間を味方につけなければいけない。
・「あなたはものごとを納得するのに、普通の人より時間がかかるタイプのようです。でも長い目で見れば、たぶん時間はあなたの側についてくれます」
・「でも目に見えることだけが現実だとは限らない。そうじゃありませんか?」
・「目に見えるものが好きなの。目に見えないものと同じくらい」
・「イデアは他者に認識されることによって初めてイデアとして成立し、それなりの形状を身につけもする」
・「おまえが行動すれば、それに合わせて関連性が生まれていく」
・確信を持って断言できることなんてこの世界にはひとつもないのだ。
・「私が生きているのはもちろん私の人生であるわけだけど、でもそこで起こることのほとんどすべては、私とは関係ない場所で勝手に決められているのかもしれない」
今日もありがとうございました。
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