銀座の高級スパへ
2023年暮れ、どうしてもと声を掛けられ、気の進まないまま仕事関係の忘年会へ参加した。世の中の忘年会は8割は行かなくてもいいもので、2割ぐらいが本物ではないか。今回は8割のほうだ。
到着してすぐ始まったビンゴゲーム。手にしたビンゴカードはあっという間に綺麗な斜めの穴があき、景品と言って名刺入れぐらいの大きさの箱を渡される。
なんじゃこりゃと開けてみると私でも知っている銀座の超高級スパの招待チケットが入っていた。
基本的にあまりスパやエステに通うタイプではない。
施術台の上に寝転ぶと居心地の悪さにソワソワしてしまう。歯科医院で感じる不安と似ている。仕事も忘年会もエステも交友関係もそうだが、人と関わることに関して単純に気を使いすぎてしまう所がある。たとえこちらが対価として受け取るものだとしても、どこか頭の隅で相手に失礼が無いようにと動いている。この国では幼少期から「相手に迷惑をかけるな」と教えられ育つ。この文書を読んでくれている方も一度は感じた事があるだろうし、私は見事にこの文化で育っていると思う。
翌日、折角貰ったチケットだし疲れも溜まっているからと自分を励まし電話予約を入れる。「本日でしたら夜8時に空きがございます」電話越しの声が異様に柔らかい。高級店のやんごとなきまろやかさをはんなりと感じる。
店に到着してすぐに温かいお茶と、とんでもなくいい香りの温かいおしぼりが出された。おしぼりは肉厚ながら柔らかく手から溢れそうで、ここまで気を使うおしぼりには出会った事がない。持っていたいが同時に手放したくもなる「おこぼれおしぼり」手を包み込みたいのにおしぼりを手のひらで包み込んでいる。
そこから丁寧すぎる説明を受け、施術を受ける個室へ移動。席を外しますのでお着替えをお願いしますと言われた瞬間、今回は60分のアロマオイルトリートメントコースを頼んでいた事を思い出す。しまった。うっかり何も考えず電話越しで勢いで決めたが、これは服を脱がないといけない施術だ。
仕事でタイへ行った時、合間に現地の高級スパでオイルトリートメントコースを頼んだのはいいものの、冷房キンキンフル稼働。冷蔵庫の奥に転がる調味料みたく身体を冷やされ続け、素っ裸で1時間半震え上がった事を思い出し身構えていたが、セラピストが席を外すと同時にエアコンの温度を上げてくれている。どこまでも丁寧な扱いを受け、勘違いさせてくる。これは罠だ試されている。ここで勘違いし横暴な態度になるのでは三流である。一流の店の一流の客で居るためには相応しい振る舞いをする必要がある。
促されるままおずおずとお湯の入った桶に足を入れ、施術が始まる。お好みの強さはございますかと聞かれたので「◯◯さん(セラピストの名前)が疲れない程度に強くお願いします」と伝えると、凝りの芯をとらえてガッチリ圧をかけてくれるのにまるで痛くない。セラピストは施術しながら柔らかい笑顔を浮かべ、楽しい話題を提供してくれる。これがプロの仕事かと感心していると足裏と私の心地がふわふわしだした。いつもならどんな時でもしっかりしていなきゃ、なんて考えている頭が重力に引っ張られ、このまま横になりたいかも、と考えだした丁度良きタイミングで声をかけられ施術台に移動。うつ伏せで身体背面を重点的にマッサージ。エステサロンの広告とかでよく見る姿だ。そういえばハンターハンターでこんな念能力あったな。大人になった私は右手に鎖を巻くのもいいが美容と疲労回復能力が欲しい所。ところで幻影旅団ってネーミングセンス天才じゃない?何でもかんでもハンターハンターで例えるのやめな?
まどろみ心地よい時間は一瞬で終わり、全身揉みほぐされ震え声でオプション延長をお願いする事となった。大体の方は延長をお願いされますよと教えてくれる。流石高級店、施術前後の時間も事前に加味されている。高い価格設定は利用者から見えない部分もしっかり含まれているからなのだ。気遣いとサービスのバランスに感心しながらオプション終了まで眠りについた。
セラピストにお礼を終え、最初に鏡を見た感想は「えっ、首なっが…」人は感動すると語彙が無くなる。顔の歪みが取れ、張っていた筋肉が解れた。呼吸も深い。身体は軽い、気分はチルい。なんだか根拠のない自信も湧いてくる。
終わった今、何故あそこまで警戒していたのかと少しおかしくなってしまった。日常でいろんな出来事に気をつかいすぎて、無意識に警戒モードに入っていたのかもしれない。こんな心地よい事があるなら食わず嫌いは勿体なかったな。
苦手意識は時間と経験、成長と共に変わる事もある。今後は定期的に「好き嫌いの確認作業」を行うのもいいかもしれない。新たに好きになる事は勿論、嫌いなままでも良いが、今の自分を知る事は必要だ。気の進まない忘年会に向かったように、たまに日常のサイクルから歩み出てみると発見がありそうだ。今回は高級店で勢いに押してもらった所があるが、今後は自発的にできると良い。そして時には自分を労りご褒美をあげよう。今回はとても良い経験になった。
その後施術部屋を出て渡された「おこぼれおしぼり」に再び気を使う羽目となってしまった。おまえは少し気を使ってくれ。