薔薇木の凌辱ルートが未だに釈然としないという話
凌辱ルートを受け入れられないのは単純に自分の好みの範疇から外れているからじゃないかと思っていたんですけど、フルコンプリートしてからしばらく経ってもモヤモヤが晴れないので、このモヤモヤの原因を言語化してみることにしてみました。
誤解しないで欲しいんですが、凌辱ルートを好きな人の嗜好を否定したいというわけではないです。ただ燻ったまま放置しておくことに納得がいかないというか、取り合えず理解できなくても理解できない理由だけは捉えておきたいという気持ちがあるだけなので、こういう意見が全てではないこと理解していただければと思っています。
凌辱ルートで何が描かれているのか
凌辱ルートの話では、自分よりも他人の利益を優先してしまうお人好しな要が正当に受け取るべき権利を不当に侵されないために、人を支配したり傷つけるという手段を厭わないような強い人間になること、そうして要が月村先生なしでも強かに生きていけるようになる過程が描かれているのかなと思っています。
受け取り方が合っているかどうかは分かりませんが、少なくとも私は上記のように受け取りました。
凌辱ルートを読んで感じたこと
凌辱ルートでは人を支配したり傷つける人間が強かな存在として描かれており最終的に要自身も月村先生が言うところの強かさを手に入れていますが、その強かさの根底にあるものが猜疑心や優位に立つことで自分の立場が揺さぶられない安心感を得たい気持ちのように見えました。結局は要が他人の一挙一動に翻弄されて確固たる信念がない弱い人間のように見えたんですよね。
月村先生にとっては自分の有益になる行動を取れることが強さであるかもしれないし、そういう考えが間違っているとは否定できません。ただその価値観が常にだれかと共有できるものであるかといわれると決してそうではないなと思います。現に要は「自分にとって有益だから」誰かを恐喝したり傷つけたりはしていないんですよね。むしろ、「月村先生に見捨てられたくない」「学問を近くに感じられる環境を奪われるかもしれない」という恐怖や不安が要を突き動かしたんだと思います。
要が最初から自ら進んでこのような言動をとっていたら、私の趣味に合わないなと思いながらも一定の納得はしていた気がします。
ただ、恐怖や不安という感情から自分を脅かす不穏分子を排除していくやり方を選んでいると考えたら、それはあくまで現状を誤魔化したに過ぎないし根本的な解決になってないなと思うんですよね。
結局何に悶々としていたのか
結論を言うと、精神的に弱い人間であると受け取っていたからこそ、陵辱ルートの要が強かな人間かのよう描かれていることに対して隔たりを感じていたことがモヤモヤの原因だったなと気付けました。
"人として弱いということは、できるならば苦しみを遠ざけようとすることだ"という言葉があるように、苦しみを一時的に遠ざけてもその苦しみは長い人生の中でじわじわと後ろから追っかけてくるんですよね。そう考えるとやっぱり凌辱ルートを大団円のハッピーエンドとして受け取ったまま終わらせることは私には難しいなと思いました。