つらく悲しい思い出は、いつか深い愛へと変わる
ここ数年は街の中でクリスマスソングが流れはじめると、ぶわっと涙腺が緩みます。
それはきっと、たくさん失ったものも得たものも両方あって、もう過去には戻れないと思う一方で、奇跡のようなこともときどき起きる不思議な道を今、私が歩んでいるからです。
私は、これまでたくさんのものを失いました。
一つ目は、大好きなパパとのお別れ。
二つ目は、長く付き合った人が結婚をし、もうお互いに交差する人生ではないとわかった瞬間。
三つ目は、実はもうひとり家族を亡くしています。
三つ目は私と家族の間だけで大切にしまっておきたいので表に向けて発信する予定はございません。
ただ、数年の間にこれだけ、いやこれ以上の喪失を経験すると、人は、悲しいを通り越して、制御不能のロボットのように感情も脳みその処理も追いつかなくなり、何度もつらい思いをしてきました。
今回のnoteは決して、これだけつらいことがありましたとか、これだけつらいことを乗り越えてきましたとか、自慢やバリバリ、ゴテゴテのノウハウ伝授でもなんでもなく、つらい出来事はいつかは深い愛に変わると今、実感する日々の中で改めて発信したいと思い、自分の言葉で綴っています。
父との死別は『あなたらしく生きるための「ひとり会議」ノート』でも触れている通り、おそらく周りが想像する以上に過酷な日々でした。
けれど今思うのは、私は少なくとも30年間の父との思い出はあるということ、そして、もう二度と会えないけれど、いつもどこかで父は見てくれているのだと、応援してくれているとわかる瞬間があるのは、とてもしあわせなことだとも思います。
ふとしたときに「そうか、もう父とは一生どうがんばっても会えないんだ」と3年以上が経つ今も無性に悲しくなって、亡くなる当日まで交わしていたメールを読み返すときがあります。
このメールに返信してももう返事は返ってこないと思うと、たとえ電車の中だろうと、カフェにいるときだろうと、涙が自然と流れるのです。
それだけ大切な人との死別は、深い禍根を残します。癒える、癒えないの言葉では足りないほど深い傷と埋め合わせなど一生できない深い孤独と向き合うことになりました。
亡くなった直後は、お風呂に入ることも、美容を楽しむこともすべてメンタルブロックがかかりました。
私だけこんなに人生を楽しんでいいのかとも思いましたが、それ以上に、父が最期まで頑張った姿を見ると、自分はどう生きたいのか、それが定まるまでは、なにに対してもモチベーションが上がらなくなりました。
ひとりでがんばって乗り越えたら、奇跡が起きる
その一方で私は、長く付き合った人が結婚した事実を父が亡くなった同時期に知りました。この一連の出来事も、私にとっては深い傷として今まで残っていました。
一言で言えば「そういうものなんだな」と、ただそれだけの感情しか湧き上がってきませんでした。あれだけ長い時間をともに過ごしてきた相手であったとしても、別の人生を歩みだしたら、それ以上、交差することはない。
私の6、7年は何だったのだろう、20代を過ごしてきたその重みを相手はわかっていたのだろうか、いろんな思いを巡らせながら、ひたすら感情が爆発しないように耐えていた気がします。
そんな私に覆いかぶさるように、友人たちからも結婚、妊娠、出産報告が次々と自分のもとへとやってきました。
本人にとってめでたいことであっても、私は大きなものを失って精神的にきつい、それなのに…当時はもう言葉では表しようがないほどの傷を負いました。
つらく悲しい時期は、永遠に「傷」として残るものだし、一生、癒えることはないと思っていました。そして、恋愛記事を曲りなりにも書いてきた身としては、癒えるのであれば、それは新しいパートナーがくるまでは癒えないのだろうと思い込んでいました。
結論は、たとえひとりで過ごす日々がどれだけ過ぎようとも、自分の努力次第で、つらい出来事は愛へと変わるのだということ。
私は、全部の感情と真正面から向き合ってきました。たくさん涙を流して、そのたびに自分はどう生きたいかを問い、泣きはらした目のまま、近くのカフェに行き、何度も何度も、これからどうしていきたいのかを問い続けてきました。
最初は些細な行動の変化からはじまります。母と喧嘩してばかりいるなら、少し離れる時間をつくろう、ひとり時間を増やしてみよう。Self0のためにできることはなんでもしてみよう。
そうやって小さな変化と行動を起こし続けているうちに、流れも変わって、自分自身も変わって、そのエネルギーを感じ取った人たちが動きはじめてくれます。
私にとって会社は、恋人、子どもと変わらない
私にとって、一番大きく変わった出来事は、会社を立ち上げたこと。
まだまだ「会社」と呼べるまで状況は整っていませんが、節目の日を選び、覚悟を決めて立ち上げたことは、自分の中にもうひとりの自分が宿ったような感覚になりました。
この会社を守るためなら、少しでも笑顔が見られるなら、たとえつらいことがあっても笑っていようと思っているうちに、めまぐるしく環境が変わりはじめて、気づけば、父のことも過去のつらい恋愛も「深い傷」から「大切な思い出」へと変わっていったのです。
これまでの3年間もクリスマスソングを聴いてきましたが、そのたびに街に溢れるカップルを横目で見ながら、きっと羨ましくもあり、なぜ自分はこの状況になれないのか、そうではなかったのか、仕事を生きる道だったのかと、冬が訪れるたびに、心のどこかでは後悔していたのかもしれません。
けれど今年の冬は、同じように泣けても、感情のカテゴリーや色が違います。
ただ、ただ、怒涛の日々を駆け抜けた自分を褒めてあげたいと…純粋にありのままの自分を認められるようになった私が今、ここにいます。
甘酸っぱい思い出は、いつまでも大切にしながら。
最近「LUSH」や「SABON」のアイテムを買うようになりました。
どちらとも大学の頃にちょうどみんながギフトとして贈り合う時代で(もちろん今も大人気ブランドですが)ブランドが立ち上がりはじめた頃だったか曖昧な記憶なのですが、どちらとも青春時代を象徴するブランドです。
とくに意識はなく、ただ、長く付き合った人から初めて誕生日にもらったギフトが「君にお熱」(だったかな?)というLUSHのギフトボックスで、その思い出だけは、これからどんな道を歩もうとも、どんな人と出会おうとも、大切にしていたいあたたかい思い出だなと、ふと思ったのです。
そこで、ひとり時間を充実させるためにLUSHのバスボムを買ったり、SABONを買ったりと、決して過去に未練があるのではなくて、私の場合は、喪失が起きはじめる前の、活き活きとしたあの頃の自分の感覚に戻ってきた気がしました。
なんだかいつもに増して、グダグダと書いてしまいましたが、
つらい思い出は乗り越えた瞬間に深い愛へと変わります。
過去を捨てる、忘れるといった残酷なことをする必要はなく、過去があって、今があって、全部受け止めようと努力して、これから未来に向かって歩もうとしている。
そうやって肩ひじ張らずに自然とそう思えた瞬間、私は奇跡が起きると信じています。
父はいないけれど、私の胸の中にはいつも一緒にいる。父の顔もぬくもりもやさしさも一生忘れない自信がある。
少なからず30年間、パパが守ってきてくれて私は今こうして想いの丈を発信できています。
長く付き合った人との日々も決して無駄ではなく、出会いも別れもすべて意味があったと思います。
もうお互いの人生が交差することはありませんが、彼からはたくさん学んだものがありすぎて、これからもきっと大切な人であることには変わりありません。
思い出を消すのではなく、大切な宝箱にしまったうえで、これからの人生を過ごしていきたいと今は、感謝の気持ちでいっぱいです。
明日は、運命がまたひとつ決まる打ち合わせが控えています。
これから、きっと、ますます使命に燃えて生きていくのだとも思います。その節目の前にどうしても、このnoteを発信できればと思って更新しました。
つらいことを、すべて愛と生きる強さに変えて
今、大切な人を亡くして涙が止まらない人、
今、大切な人と別れて、失恋をして、もう二度と恋愛なんてできないと思っている人、
今、自分らしさがわからないし自分軸も安定しないし、とにかく苦しい人、
すべての皆様に、
つらいことはいつか深い愛に変わる瞬間が訪れるから、ひとりではないし、あともう少しだけ踏みとどまってほしい、そして、自分のできることをスモールステップで歩んでいきましょうと、お伝えしたいです。
最近はクリスマスソングを聴きながら、Self0の発送を進めることがなによりのギフトで、私から私へのご褒美です。
Self0の運営にもまだまだ努めてまいりますので、ぜひ文房具にご興味ある方は足を運んでいただけると幸いです。
たくさんたくさん失って、
涙が止まらない夜もいっぱいあって
たくさん得て、
ときどき奇跡も起きて、
私はこれからも、愛と生きる強さを大切にしながら、ありのままの自分を受けとめて、どんどん前に進んでまいります。
2023/11/15
atelier ERICA inc./ERICA YAMAGUCHI
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