自分の人生を歩むと決めたら、覚悟が決まって、世界が広がった
師走の空気が漂う街中で、ひとり、オフィスにこもり、日々Self0の発送に集中していますが、窓から流れてくる空気は間違いなく冬の空気で、その風を感じて、今年がもう終わりであると自然界から告げられている気がします。
家族を亡くしてから、母は常に「なにもかもひとりで決めなさい」「事業のことは、わたしにはわからないから相談しないで」と、私の心に深い棘をさすような言葉を言い放ち続け、そのたびに私はよくも悪くも、自分はどんな人生を生きたいのか、どう生きたいのか、後悔なき道のりは右なのか左なのか、そのことだけを考え続けてきました。
すると、模索しているうちに自分はこんな暮らしがしたい、ああいう風に生きてみたいとパズルのピースが少しずつ自分のもとへと集まるように、自分の人生スタイルがほんの少しずつ確立されはじめていったのです。
小さい私と大きな私が喧嘩をするのが、ずっとつらかった
私は両親が自分にとっては絶対的な存在。
さらに我が家の場合、家族で一致団結しながら不登校を乗り越えた我が家なりの絆があって、わたしは家族が一番大好きでした。
これからもずっとそんな日々が続くと思っていたのですが、皆様もすでにご存じの通り、家族の形態がやがて変わることになります。
大人になってみて初めて気がつきます。不登校をただ乗り越えるだけではなく、本人が自立してこそ、その時点で初めて乗り越えたといっていい瞬間なのだと。
ただ学校に通えるようになった、友だちと遊ぶようになっただけでは安心してはならず、自立してこそ、ようやく乗り越えたことになるのだと。
家族を亡くした直後は、私と母の関係を「愛着障害」であると、距離をとにかく離しなさいと言われ続けたり、母からも「もうお母さんは卒業なのよ!」と何度も怒鳴られたり、じゃぁ、私はこの哀しみや孤独を一体誰にぶつけたらいいのと、ときには泣き叫び、怒りがおさまらずに暴れては、掲示板に「騒音」扱いされて……。
正直、あの時期は、この社会に、この世界に自分の生きる場所があるのかわからず、だからといって、どんなに苦しくても、自分の命を自分の手で閉じるわけにはいかないと踏みとどまっては、心の中で「こうして自分が死なないから、誰もわかってくれないのかもしれない」と朝になるまで泣き続けた夜もありました。
小さい私と大きな私が喧嘩をはじめると、私はなんだか制御不能のロボットのように壊れはじめます。
今はひとりの時間、ひとりの世界が確立していわゆるバグることはなくなりつつありますが、それでもこの3年間は両親にとっての「えりちゃん」と自分の人生を生きようとする「山口恵理香」がひどく喧嘩をするのです。
ひとつのからだの中で2つのエネルギーが交差すればまだましで、ぐちゃぐちゃと波を打つように、脳みその中もぐちゃぐちゃに。この感覚は言葉では表現しきれない不思議な感覚です。
そんなときは、いつも寝て、自分自身を強制終了させるか、頓服の力を借りて母からすぐに離れるか、自分なりにそのときどきで適切な対応をしてきたつもりですが、そうやって少しずつ私が新しい私へと変わりはじめました。
「覚悟が、決まったね」お医者さんの一言で涙止まらず
これはつい先日のこと。定期通院している心療内科を受診したときに私はこう言いました。
「先生、私、ひとりの時間がとても楽しいんです。意地を張っているとか、他の生き方をしている人を否定したいとかではなくて、自分にとっては、ひとりでいることが一番世界が広がって、人の輪も広がって、奇跡のようなこともときどき起きる。なにより、日々の中で、行きたい場所、その日どこにいたいか、仕事をしたくないのか、したいのか、なにを食べたいのか、自分の責任100%のもと、自分で選択できる自由な世界にいられて、とても今しあわせなんです」と、ひとつ一つ言葉を選ぶように伝えました。
すると、先生はすこし間をおいて、こう伝えてくださりました。
「覚悟が、決まったね」と。
先生は、いつも私が伝えたことに対して否定もしなければ、常にお医者さまとして的確な見解を示してくださりますが、この瞬間、この言葉に自分自身も100%納得で、どう生きたいのか、どんな人生を歩みたいのか、その覚悟が決まったと改めて思いました。
この3年間は、決して人様に見せられるような3年間ではありませんでした。
感情をおさえきれずに物を投げたこともたくさんあって、自分の髪を切ってショートヘアになるまで切り続けたり(後に自傷行為の一環だと知りますが)それはそれは「お見苦しい」なんてレベルではなく、人としてギリギリの世界を生きていた気がします。
会社が、Self0が、私を強くしてくれた
私は実際に妊娠や出産を経験していないので安易に表現方法のひとつとしては大きな声では言ってはいけないとわかりながらも、やはり、ひとつ覚悟を決めて、曲がりなりにも小さな会社を立ち上げ、曲がりなりにも小さな名もなきブランドを立ち上げることは、どちらとも、その2つに命を宿す感覚を覚えます。
不思議なくらいにもうひとりの私を感じます。もちろん、これまでに出版した2冊の本も分身のような存在です。
これらは決して呼吸をしているわけではなく、言葉も発しません。むしろ、はっきりとした存在の輪郭が見えるわけでもなく、どこに存在しているのかもわからないといった方が正しいかもしれません。
それでも私が苦しい時期を少しずつ抜け出しつつあるのは、会社とブランドと書籍…分身のような存在が折に触れて、私を何度も何度も救ってくれるからです。たくましく、強くなれたのも間違いなく、自分の中にいくつもの命が宿っているからでしょう。
会社を守る、少しでも成長させる。ブランドも同じく、のびのび育ってもらうために、自分は24時間、なにをしてあげられるのか。そう問い続けて、私は今もこうしてnoteで発信しようと心に決め、想いの丈を綴っています。
会社もブランドもスタートを切ったばかりであって、そんな想いもあり正々堂々と「会社を立ち上げました」とは言わずに少しずつ情報をオープンにしてきました。
覚悟は運命の輪を大きく動かす
自分の人生を歩み、使命を見つけ、魂を磨き続けながら歩んでいくことは、ときに強烈な不安と孤独に襲われます。
それでも、ひとりの世界を愉しんでいるうちに、ほがらかにスキップしているうちに道が拓けてきます。
私にはひとり会議用のノートとは別に夢ノートが存在します。そのノートに書いた目標が叶ってきているのも、ようやく、ひとりが楽しいと思えたから。
ひとりが楽しいと思えると、ふたりも、三人も楽しいのです。自分の世界が確立して、そこで初めて、適切な距離感で、自分の領域を守りながらたくさんの人との交流を心から楽しめます。
ひとりの世界があるから初めて誰かがいてくれる安心感やぬくもりに心から感謝したくなるし、そのあたたかいエネルギーに引き寄せられるようにご縁が集まってくるとも最近よく思います。
起業家としては、ほんとうにまだまだなところがたくさんあって、ひとり会社の手前、ほとんどの業務をひとりで進めなければならず、あまりの長時間労働に泣き虫さんは泣いちゃうときもたくさんありますが(自分は、いつまでなにをやっているのだろうと)Self0を通して、今、多くの方々と出会えていることを、心よりしあわせに感じています。
覚悟が決まれば、運命も動いていく。
atelier ERICA inc.|山口 恵理香
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