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震災を超えて…つながる人々の優しさ
今日は、阪神淡路大震災から30年。
いろいろなことを思い出しております。
その前の年に離婚をし、1ヶ月ちょっとで震災に見舞われました。
震災直後、揺れは相当なもので、電子レンジが1メートルほど飛びました。
停電で真っ暗でしたので、見えない中、食器棚は壊れ、床はガラスの破片で、その上を歩いたので、足の裏は血だらけとなっておりました。
一瞬、何が起こったのか、わからない。
関東で相当大きな地震なのだろう。
てっきり、そう思い込んでおりました。
何もわからなかったので、とりあえず階段でおり、車のラジオを聞くと、震災が起こったこと。確か震度5で、神戸北が震源地とのこと・・・
死傷者20人・・・
しかし、この揺れからもっと多くの方が亡くなっているに違いない。
ふらふらとなりながら、何とか、生きていかないと・・・次第に日が明るくなり、ガラスがあらゆるところに飛んでいることがわかりました。
そして、これまで集めた伊万里、陶器は無残に壊れてしまい、改めて、人間が作ったものは、無くなるものだと思ったものです。
冷蔵庫を開けると、前日、作ったチーズケーキがあり、これでしばらくしのごうと。
しかし、水がない・・・
生きるためには、塩、水が大切って聞いていたっけ。
何としても、水を確保しないと。
自転車に乗り、あちこちの自販機に行き、あらゆるお茶を購入したのです。朝8時頃になると、お茶と水は売り切れになり、お汁粉しか残っていませんでした。
関西地域は、全然、電話がまったく通じなくて、むしろ関東からつながったようでした。
夜になり、電話が鳴り、「誰だろう・・・」と、集英社の編集長からでした。
心配になり、何度も電話をしてくださったようです。
「ようやくつながった、池田さん、元気で良かった」
編集長とは、その時、お会いしたこともなく、コンクールでの連絡でお知り合い程度でした。
一緒にお仕事する予定だった編集部のIさんからも連絡があり、病気で手術なさったことから、病院からお電話でした。
Iさんとは、後に友達として親交があったのですが、病魔から1年半後に亡くなられてしまいました。
葬儀に出席したところ、編集部の方が「池田さんですか」と聞かれ、お名刺を私には内緒で、Iさん、各編集部の机の上に置いて下さっていたようです。
「困ったら、池田さんに聞けば、関西に関しては教えてくれる」と言った言葉を添えて。
一度、お目にかかった際、「名刺を数枚、いただけませんか」と言われていたこと思い出しました。「何だろう?」と思う程度でした。
しかし亡くなられて、さりげない思いやりをようやく知りました。見えないところでしてくださった親切は、とうの本人(私)には悲しいほどに伝わらないこともあるのです。そして年齢が若くても、たとえ20代であっても、成熟した大人のやさしさを感じました。
亡くなられて30年近くなりましたが、今もお母様とは連絡させていただいております。
そして、今年は彼の葬儀で出会った編集の方と久々にお会いすることとなりました。
月日が経ち、途中、縁が途切れた方もいるなか、このように細くても縁がつながっている人、本当にありがたいです。