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夢はある日突然に|夫の独立開業つれづれ日記 vol.1


きっかけはバイクのブレーキ部品、だったと思う。

夫の学生時代からの古い友人のひとりから、趣味であるバイクのブレーキ部品の一部が壊れてしまったので作りなおしてほしい、という一本の電話から始まった。なんでも今では製造されていないバイクなのだそうで、修理したくとも部品が簡単に手に入らないのだという。
その友人が家の庭先の階段にむき出しのまま無造作に置いてったそれは見たこともない形状の鉄の塊で、夫から説明されるまではお義父さんが置き忘れた不要品だと思っていた。お義父さんは自称、器用貧乏。ズボンの裾上げといったお裁縫から農機具の修理や日曜大工までこなす、よろづ屋のような人だ。
そんなお義父さんの息子だからか、夫も手先が器用でものづくりが大好きである。余談だが、裁縫が不得意で苦手な私に代わって、息子の紅白帽の伸びた顎ひものゴムを付け替えてくれるのは夫が担当してくれている。

夫は金型を設計製作する製造会社に勤めている。
高校を卒業して就職した会社が今の会社だそうだから、けっこう長く勤めている。勤続27年くらいになるだろうか。
現場からの叩き上げで、今は工場長という中間管理職のポジションに就いている。昇進するにつれ、現場で金型に触れる時間が減り、代わりにお金や人の管理をする時間が増えていった。
夫は、仕事に関しては職人気質である。
役職が徐々に管理職になるにつれ、俺にできるだろうか、俺には向いてないんじゃなかろうか、と何度も何度も自問自答し葛藤しながらここまでがんばってきたのだと思う。
だが、ものづくりに集中する時間が減り、やたらと会議が増え数字を管理する仕事に変化していくと、仕事に対するおもしろみも達成感も減っていったに違いない。

会社辞めようかな…
○○さんみたいに独立しようかな…でもな…
工場長の役職に就いて1年と半年くらい経った頃だったと思う。ポツリ、ポツリと、そんな言葉を聞くようになった。
それでも今の会社でがんばってきたのは、買うとなると高額な機械設備に手が出ないのと、独立してからの経済的不安と、少なからず会社に対する恩があるからなのだろうと推察する。

そんな毎日を過ごしていた先月のGWを過ぎた頃。
夫の友人からバイクのブレーキ部品を修理してほしいという連絡があって、会社の機械を借りて修理製作をするから土曜日は会社に行ってくると言う。
そうやって友人や知り合いに頼まれて、ちょっとした部品などを会社の機械を借りて作りに行くことはこれまでにもしばしばあった。

その日、部品を修理製作した足で友人宅に寄り、バイクに取付けて試運転をしてオッケーをもらい帰宅した夕方。夫の母方の叔父から電話をもらったと言って、話は突然始まった。

おっちゃん、もう歳で仕事やるのしんどいから機械売りたいんだって。
それで○○(友人)に話したら、弟が機械買うから一緒に起業しようって話になってさぁ。

夫の叔父は、自宅の隣の小さな工場で下請けとして仕事をしてるらしい。私は自宅には行ったことがあるが、工場はただ通り過ぎるだけで中に入ったことはなかった。田畑や果樹園の農業のかたわら、ひとりで細々と受注請負いしていたようだったが、最近、歳も歳だから農業との二足のわらじはしんどくなったのだという。
それで、金型の仕事をしている甥である夫に「機械を買わないか」と打診の電話をくれたようだ。

そのタイミングがちょうど、友人とバイク部品のやりとりをしている時だった。
しかもその友人は最近、弟が幹部を務める会社を弟とともに退職し求職中であった。弟は幹部を任されていただけあって、えらくお給料がよかったらしい。
夫が世間話程度に機械を売ってもらう話しをしたところ、弟が買うから3人で起業しよう!というふうに話がまとまったらしい。
製造機械にはとんと疎い私だが、中古の機械でも○百万すると聞いて驚いた。
夫が手が出ないと言うわけだ…
ていうか、それをポンと一括で購入すると返事した友人の弟が凄すぎる。いったいどれだけ稼いでいた人なのだろうか。庶民の私には想像もつかない。

そんな話になり、その晩。

「会社を辞めて、○○(友人)たちと起業することにした。初めてのことだらけで先の見通しがつかない。どれだけ稼げるのか見当もつかないから貧乏になるかもしれないし、苦労をかけると思うけど承知してほしい」
というようなことを、夫は私に言ったと思う。ベッドの上に正座して。

私はそのとき、ただ「うん」とひと言返事をしただけだった。とっさに言葉が見つからなかったのもある。

なんとなく、いつかはこういう日が来るのかもしれないと思っていたが、今なのだとは思わなかった。
私も今まで雇用されたことしかなかったから、起業して腕一本で稼ぐということが未知の領域で想像もつかない。だけど、首を横に振る理由はない。夫がやってみたいと挑戦することを止めることなどできない。
だって人生は一度きりだ。
歳をとって死ぬ間際になって、ああしてみたかった、あの時こうしておけばよかった、などと後悔する人生など自分だってごめんだ。あとで後悔するくらいなら、やってから後悔したって遅くはないと思うからだ。

こう言うと聞こえはいいかもしれないが、単に私のせいにしてほしくないという臆病な自己満足の範囲でしかない。仮に私が起業に反対したとして、夫は他人のせいにするような人ではないことは充分わかっている。
全面的に応援する気持ちはあるし、やれるところまでがんばってほしいと心から思っている。
だが不安は拭えない。複雑な気分だ。

夫はきっと私以上に不安だろう。
それでも一歩踏み出そうと決めたのだ。


可笑しいことに、バイクのブレーキ部品がGOサインだったとは。


夢はある日突然、足元に転がり込んでくる。
たぶん絶好のタイミングを選んで。





vol.2へ続く。

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